お城のデータ
所在地 : 高島市(旧高島郡)高島町武曽横山 map:http://yahoo.jp/Bv006D
区 分:丘城
現 状:宅地・竹林
築城年 :室町期
築城者:横山頼信 (佐々木高信の孫の頼信が高島氏を称え、その孫・頼信
遺 構:土塁、堀
目標地:日吉神社
駐車場:日吉神社の空きスぺース
訪城日:2015.11.7
お城の概要
武曽集落は丘陵先端部に位置し、鴨川支流を西の堀に琵琶湖に向けて構える。
詰め城部カ? http://yahoo.jp/vkXwPs
『日本城郭大系』には、武曽集落の氏神である日吉神社の北西背後の丘陵上に土塁と堀に囲まれた削平地を横に連ねた遺構が残っているとする。
また、『滋賀県中世城郭分布調査』には、城郭体系の山城とともに日吉神社南東の土塁が残る居館跡を報告しており、武曽城は居館と詰城からなる城郭であったようだ。
武曽館
- 居館は、武曽集落の東端付近で日吉神社の鳥居から100m程、東に行った道路北側の資材置き場のような建物の裏手にある。 藪の中に西面、北面、南面の明瞭な土塁と堀が残存している。北西角では折れが見られ、東面は斜面となっているようだ。が、遺構付近の竹の繁茂は激しく、郭内へは立ち入り困難。
- また、日吉神社の鳥居から100m程、西に行った道路の北側添いに土塁を伴った郭(館)が鴨川支流を堀に残存する。横山氏の一族か?。臣下の屋敷か?。
お城の歴史
横山城の支城で、佐々木氏庶流で高島七頭の一人で武曽横山を所領とした横山氏の城館とされる。
横山氏は、近江国守護・佐々木信綱の二男・高信が高島郡に移り、高信の孫の頼信が高島氏を称え、その孫・頼信が横山に移り住み横山氏を称えたことにはじまるとされる。
横山下野守高長のとき、浅井長政に攻められてその軍門に降った。しかし、元亀三年(1572)に織田信長に攻められて降伏した。翌天正元年(1573)には、同じく信長に降った(南西500mのところにあ)る伊黒城が、長政に攻め落とされている。その後の武曽城および横山氏について詳細は不明である。
『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「高島郡高島町武曾横山」、形式は「平山城」です。城の歴史は「武曾城は、横山城の支城で、横山下野守高長のときに浅井長政に攻められて、横山の本城と共に敗れ浅井氏に降った。そして元亀三年(一五七二)、今度は織田信長の攻略によって降伏する。現在、武曾には字名として中殿・中殿前・大門等々が残っている。武曾城は、日吉神社の北西に位置し、南面は鴨川が西から東へ流れている。武曾城の本城横山に対する役割は、横山城が八田川を中心に北面を治めていたのに対して、武曾城は立地から鴨川を中心に横山城の南面を守るために築城されたものと解釈することが許されるであろう。」とあります。なお、高島郡高島町武曾横山は現在高島市武曽横山になっています。
次回に・・・・山上『詰め城』は、ここかhttp://yahoo.jp/vkXwPs
武曽集落(武曽城) http://yahoo.jp/Am7OzR
- 日吉神社・武曽集落
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日吉神社境内の神社 土塁・平削地
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、 日本城郭体系、高島の城、淡海の城
本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!