辻伊賀守と一族の墳墓
お城のデータ
所在地:東近江市(旧神崎郡五個荘町)宮荘町 map:http://yahoo.jp/h1KMbI
お城の概要(現地石碑の説明)
永禄三年(1560)北ノ庄の三人衆(川副兵庫介・宇野因幡守・辻伊賀守)か江北の浅井長政と手を結び、観音寺城佐々木六角軍と交戦、世に言う北ノ庄合戦である。
前方にある墳墓(通称塚)は、この戦いで討死した三人衆の一人である辻伊賀守とその一族を葬った墳墓であると伝えられています。合掌
神崎郡 北ノ庄村(現宮荘町)は明治七年宮荘村に改称した。
お城の歴史
『淡海国木間攫』には、「神崎郡 北ノ庄村(現宮荘町=明治七年宮荘村に)
「往古城アリ、北ノ庄三人衆居住ス、浅井長政ヨリは赤田信濃守定興ト云人加勢トシテ籠城有此所ニ佐々木六角方ヨリ責寄セ終ニ落城ス、城主定興討死スト云々、」
追加
「三人衆トハ、宇野因幡守・辻伊賀守・川添兵庫介当御形近習ナリ、永禄三年南北鉾楯ノ砌、浅井長政ニカタラハレ逆意ヲ企ケル故、六角御形是ヲ聞キ不日ニ攻崩シ三人共誅伐ナリ、兵庫介妻ハ太閤ヘ奉公ニ出テ尼幸藏主トシテ大ニ出頭シ、息式部丞モ出サレ江戸ニ有ト云、」記す。
遠景は、和田山城
参考資料:淡海国木簡攫
本日の訪問ありがとうございす!!