木村城
- お城のデータ
- 所在地:東近江市(旧蒲生郡蒲生町)木村町 map: http://yahoo.jp/Kcpiuh
- 現 状:神社・宅地
- 区 分:平城
- 築城期:室町期
- 築城者:木村次郎左衛門重光
- 遺 構:柳宮神社の鎮守の森に遺構か?
- 目標地:木村公民館
- 駐車場:木村公民館前に駐車
- 訪城日:2016.5.7
- お城の概要
- 蒲生木村城は、布施山城の西、雪野山城の東、後藤氏館の南約2kmに位置する平城で、現状は名神高速道路で寸断され、圃場整備された田園集落、近くには、木村古墳の復元され往古からの集落地でもある。
- 本佐々木(佐々貴)氏の一族の木村氏の本幹地と考えられるが、未詳(滋賀県中世城郭分布調査4)
- お城の歴史
- 『佐々木南北諸氏帳』には、「蒲生郡 木村城主 佐々木末 木村次郎左衛門重光・同 木村筑前守重高・同 木村肥後守貞兼・木村佐渡守・木村小隼人」の名を記す。
- 木村公民舘前に駐車
- 遺跡ウォーカーの比定地は
近江の木村氏 (Wikipedia)
近江国蒲生郡木村(のちの滋賀県蒲生郡蒲生町木村、現在の同県東近江市木村町)が発祥。
12世紀末、『源平盛衰記』巻37で平通盛を討ち取る①木村茂綱は紀成高の四代の孫とされ、『姓氏家系大辞典』でも紀姓説を採っている。一方、『佐々木系図』(『続群書類従』所収)で成綱を佐々木経方の後裔②とし、かつ、経方の次男行定の母を紀盛衆の娘としていることから、
『近江輿地志略』では、行定の子定道が祖母の姓である紀姓を仮冒して称したのであり、本来は佐々木氏の一族とする。
後世、その子孫は宇多源氏佐々木氏流を称し、江戸時代の幕臣として9家が『寛政重修諸家譜』に掲載されている。家紋は四目結、あるいは釘貫。安土桃山時代に豊臣氏の家臣となった、木村定重・重慈・重成らもこの流の後裔と考えられている③。
近江国滋賀郡堅田(現在の滋賀県大津市堅田地区)の人に、弓術出雲派の吉田重綱の弟子で、寿徳派の創始者木村寿徳がいる。元は猪飼氏を称していたとされる。
①『佐々木系図』では平通盛を討ち取ったのは、成綱の弟(木村源三)俊綱とする。また『吾妻鏡』では俊綱を成綱の子とする。
②『尊卑文脈』も同様
- ③太田亮著『新編 姓氏家系辞書』角川書店,1974年,484頁
- 鎮守の森
- 30m東に祠が
- 参考資料:滋賀県中世城郭分布調査4(旧蒲生・神崎郡の城」、遺跡ウォーカー 、佐々木南北諸氏帳、Wikipedia
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