「第二部」ということで七段目以降。
(※第一部の感想は「「仮名手本忠臣蔵」第一部」参照。)
この日も8割程度の入り。
七段目(祇園一力茶屋の段)
一力茶屋外の九太夫+伴内、三人侍のやり取り、
茶屋内の場面、とフルに。
登場人物の入れ替わりに合わせて、各担当太夫が入れ替わり立ち替り語るのだが、
その入れ替わりが煩雑で集中力を削がれるところがある。
個人的には全員床に残り、たとえ舞台にいなくとも交互に語る方が好み。
途中で下手に仮床をしつらえ、平右衛門が三人侍を止めるところで英大夫が出てくる。
この部分については本床の三人侍と仮床の平右衛門の掛け合いになって
面白い、と思うけど。
三味線で、燕三が藤蔵のように声を掛けるのが鬱陶しく感じられる。
平右衛門の勘十郎が勢いも良く、左や足との連携も良く良かった。
蓑助演じるおかるの柔らかさは流石で、
この師弟の絡みが綺麗で良い。
落語「七段目」を思い浮かべながら聞いていたが、
刀を抜くところで特にタメはないんやね。
平右衛門が九太夫を実際に抱え上げられるところは力感が出ており、
歌舞伎に比べて文楽の良いところではある。
八段目(道行旅路の嫁入)
東海道を下っていく場面で、
大名行列を見て「あんな風に輿入れできるはずだったのに」という感慨を持ちつつ、
若い義母娘が回って見せる華やかな景事。
実は睦事やら、隠語やらを言っているのだが、
字幕も音読みでかなだけで書かれると分からんわな。
九段目(雪転しの段、山科閑居の段)
歌舞伎では「通し」と言いつつ出さないこともある「九段目」だが、
文楽では重い場の一つ。
「四の切」になるのかな。
「雪転し」は「山科閑居」の前に付く、端場と言えば端場だが、
華やかな七段目からの繋がりや由良助の「敵討」の心根が見えて面白い。
お石の重みが「山科閑居」とけっこう異なっているのでは、と
感じるところはある。
また、八段目がせいぜい晩秋の場面なのにこの九段目が厳冬なのは、
考えたら無茶な話かも。
普通切戸は下手側にあるところ、
この場面は上手に切ってあるのだが何故なんだろう。
本蔵の虚無僧が上手側に出、「御無用」の声を下手の室内から掛ける形になり、
これはこれで悪くないが「上手から入る」違和感を覆す程絶対的に良いとも思えないし。
お石・戸無瀬の言葉の斬り合いが良い。
ここが明確なので戸無瀬が為さぬ仲の小浪を斬る心に繋がり、
本蔵も出易くお石の「御無用」を導き出せる、と
緊張感を持ったまま進んでいく。
ここでも勘十郎の本蔵が硬く重く、良かったと思う。
大詰(花水橋引揚の段)
討ち入りが終わり、亡君塩谷判官の菩提所に向かう途中に
若狭助が現れる、という場面。
「仮名手本忠臣蔵」では討ち入りはどうでも良いところなので、
(十段目の「天河屋義平」は要らないが)
九段目で終わっても良いのでは、と思っていた。
しかしヘビーな「山科閑居」でハネるのではなく、
軽くこんな段をデザートのように付けるのは手なんだな、と感じた。
この段がどの程度本行に則っているものなのか、よく知らないのだが。
21時前終演。