今年最初の落語会。
ざっと80人程度の入りかな。
演者の予想より多かったようで、開演前に椅子を追加していた。
「松竹梅」(松五):△
「石段」でも「十二月」でもない出囃子で出てくる。
「繁昌亭大賞」の「輝き賞」を取ったから、の記念なのかな。
マクラで「いぶし銀」的な話。
まあ、居場所としてはアリなのかも知れないが、
若手が「地味」「目立たない」を売りにするのは個人的には好きではない。
どうせ将来落ち着いていくものなのだから、
若い頃は派手に陽気に賑やかにやっていった方が良いと思うのだが。
ネタは「字が読めない」3人が隠居に読んでもらおうとするところから入る。
全体に、3人の若い連中それぞれの人物設定が曖昧。
竹が手紙を開けてしまったので、読まなければ仕方ない、
というのは面白いのだが、
この3人の中では開けてしまうのは梅だろう、という感覚。
江戸では「稽古をしていなかったから梅が間違えてしまう」という
ある種分かりやすい作り方なのだが、
それに比べて何故間違えるのか、特に考えられていないように見える。
順に言っていく場面、
毎回隣に振る動きを入れているのだが、
若干クドく感じた。
最初だけで良いと思う。
サゲはよく分からないなあ。
何となく「おめでたい」雰囲気を残したまま終わりたい、という感じか。
「道灌」(花丸):△+
学校寄席の話。
染丸の話を紹介しているだけだが、感情が籠って面白い。
珍しいネタ。
間や強弱の付け方など、丁寧にやっている。
「十徳」風の「派手に上がろか陽気に上がろか」や
「ちゃんと座ったら」といった話から入る。
「派手に上がろか」でそれぞれの表情を付けているのは良いなあ。
全体には江戸に比べて台詞が多く、
良いと思う面と若干クドく感じる面があった。
「隠居」の説明は「なし崩しに取り返す」といった話が面白く、
それはそれで悪くないが、
「書画が趣味」からの「孔明と仲達」の絵の説明は不要かなあ。
道灌の絵の説明も、江戸に比べてちとクドい印象。
まあ、前座ネタとして削ぎ落とされていった江戸と、
特に手付かずの上方の違いかも知れない。
「歌道に暗い」を隠居の説明の中では入れず、
どうするのか、と思っていたら
サゲ前の台詞では入れていた。
若い男の人物像として「歌道に暗い」てな台詞がぽっと出てくるとも思えないから、
仕込みで入れておいた方が良いのでは、と思う。
単に抜けただけかも知れない。
飛び道具的なギャグは少なかったが、
吊ってある提灯について「心の汚い者にしか見えない」は面白かった。
「不動坊」(南天):○
今年の抱負(パチンコ、ネタ下ろし)を軽く喋ってネタへ。
以前にも見ているが、
家主さんが帰ってすぐの利吉の派手な喜び方、
吊るされた幽霊が回るところは初めて見た。
どちらも自然なギャグ・誇張で良い。
利吉の喜びやそれに対する徳さんのやっかみ、
それに振り回されて迷惑したり、
逆に徳さんに厄介を掛けたりする連中が活き活きしており、面白い。
「太鼓の環」でよくウケたのも、
ゆうさんの人物設定がそれまでに明確になっていたからだろうな。
ただ、前半の利吉、
風呂に行くまではよくウケていてのだが、
風呂場の独り気違いはイマイチ盛り上がらなかった。
利吉の個々の科白について、見ている側に振る直前に微妙にテンションが下がること、
次に利吉に戻る際のテンションが直前の最後より下がっていることから、
徐々に盛り上がっていく雰囲気が作れていなかったためだと思う。
サゲは「幽霊だけに随分迷いました」。
このネタのサゲはいろいろあるし、これはこれで悪くないが、
個人的には「私も沈みそうですわ」が好みかなあ。
井戸にぶら下がる幽霊やそこに明りを向ける利吉など、絵的に派手だし、
天窓の真下が井戸だから不自然でもなかろうし。
「鹿政談」(文三):△+
愛嬌を見せるマクラから
「鹿政談」に付く奈良のマクラ。
米朝系のに比べて、整理が悪い印象。
ネタは前半、地の文や「皆さんご存知でしょうが」といった言葉が多く、
流れが途切れ途切れで非常にしんどい。
「子どもがいないので儲けを度外視する」もクサく感じてしまい、
ない方が良いと思う。
また、薪を投げる時の「虫の居所が悪かったのか」といった地も
六兵衛さんが良い人だという仕込みをしたいのかも知れないが、
クサく、個人的には好みではない。
ここは何も言わないか、
追い払うために投げたら当たってしまった、という方が良いと思う。
個人的には「早く終われ」と思っている内に
お裁きの場面になったのだが、
ここは非常に良い部分もあってほっとした。
何と言っても台詞回しが「まず、六兵衛さんを助けたい」であり、
「餌料横領」は従である、という構造が明確であること。
六兵衛さんを助けるためには「犬」ということにしたい、
そこで鹿と言い張る人間を「鹿だと言うならば餌料横領を問う、
犬だと認めるならば餌料横領は問わない」と脅す、という形。
「犬だと言うのであれば…」まで言うべきか、は微妙で、
本来はそれも言わずに済ませる方が落語としては良いのだろうが、
これは入れるのもやむを得ないか、とも思う。
言われた侍の反応も分かりやすく作られており、
「犬か鹿か」に対する「猪鹿蝶」も強く言われたので押し出されて出てしまった、
という感じで良かった。
ただ、死骸を出さずに「雄ということだが」と言うだけなので、
ちと分かりづらいし盛り上がりにも欠ける。
ここは実際に死骸を指しながら話をした方が良いと思う。
米朝だと「塚原出雲」と「僧」と2人が出てくるが、
原告側は1人だけ。
これはこれで悪くない。
史実的に正しいかどうか、はよく分からないが。
サゲ前の「犬か鹿か存ぜぬ訳ではないが」とか
「その方の徳に免じて」といった奉行の科白は余計かなあ。
さらっと切る方が好み。
「質屋芝居」(生喬):○-
タカラヅカや新派の話。
好きなものの話で、感情も力も籠っているが、
分からない人にはあまり面白くない話が長く続いてしまった印象。
気が入ってしまい、途中で切り上げられなくなったのかなあ。
ネタは丁寧に演っていて良かった。林家ベースかな。
喧嘩場の台詞が少し多い印象。
師直も判官さんももう少しトーンを上げて派手にやる方が、
表に戻ってからの対比が効いて良いと思う。
お囃子を気にして、突っ走れなかったのかも知れない。
番頭が入ってきた際の定吉の「鮒じゃ鮒じゃ」の表情付けが
飛び道具的で面白かった。
勘平と伴内の絡みも丁寧に。
ただ出来れば、ここは「尽くし」を入れて欲しいところではある。
例えば、客に全部は伝わらないなりに
「タカラヅカ」などでやっても良いのでは、と思う。