いま手もとに『日本美術史の近代とその外部』という書籍があります。
これは教科書として発行されたものです。この本の前書きで著者の稲賀繁美氏は次のように言っている。長くなるが引用しよう。
『この教科書は、「日本」を画定することに疑問を呈し、「美術史」という枠組みをも解体しようとする試みである。さらに「近代」という時代定義も、同様に括弧に括り、問い直さねばならなくなる。めざすところは、知識の整理ではなく、そうした知の抽斗(ひきだし)をかき回す攪乱であり、ともすれば航路も定まり、安定して発展するかにみえる学術に風穴を穿つ企み(たくらみ)である。 (中略) 「日本」「美術史」「近代」の問い直しから、はたして何が見えるようになり、なにが新たな課題となるのだろうか。』 『「世界史」でも「日本史」でもなく、その両者のあいだの交通に注目する。日本とその外部とを、両者の相互作用に於いて把握し、その場に発生する力学の作用や化学の変性として理解しようとする志向である。 ・・・(以下略) 』
著者は本書と同名の講座で、美術の分野から世界と日本の近代を考察する。これは先の「前書き」にもあるように「世界史」と「日本史」のあいだの「交通」を両者の「変性」として理解してみようという視点を持つ。
この視点を他の分野に当てはめることは出来るだろうか、と考えてみた。すなわち、この書籍の題名である「日本美術史の近代」を別の語で読み替えるとどうなるか、という事である。
「美術史」という言葉の代わりに次のことは読み替えが可能になるのか。
「美術史」⇒経済史。産業史。技術史。教育史。法制史。軍制史。映画史。服飾史。文学史。などなど。そしてそれらを統合する「文化史」である。
例を挙げると『日本教育史の近代とその外部』は出来るのか?
この場合、視点をどこに定めるかは難しい課題だろうが、それが決まれば『日本教育史の近代とその外部』が可能になるような気がするのだが。