先日のテレビ番組「日曜美術館」は写真家の奈良原一高(ならはらいっこう)の特集であった。奈良原一高という写真家がどんな写真を撮ったのかが気になる。番組の冒頭で紹介された写真は左に緩くカーブした通路のような光景を写したものだった。番組の解説でその写真が炭鉱のトンネルを写したものであると言われなければ、それが何を写しているのかはわからないだろう。奈良原の作品が発表された時、土門拳は次のように作品を評したそうである。「生活から遊離した写真はやりきれない、抗議のカメラアイを向けなきゃいけないよ」」と言ったとされている。
土門拳は言うまでもなく戦後の日本を代表する写真家で、「筑豊のこどもたち」や「ヒロシマ」の作品集がある。現実をあるがままに写し取るのが「写真」の使命であるとする写実主義写真の立場を土門はとっている。言葉を変えれば、提示されたものを見ればそれが何であり、そこにそれがあることの意味をも予測可能になっている事が「写真」だとの考えがそこにはある。一方、奈良原の撮る写真は何を説明するわけでもない。写真を見る人がそれを自由に見ればよい、とする立場を奈良原一高はとっている。絵画で言えば抽象絵画に近い立場を奈良原はとっている。
土門拳の作品が「わかる写真」とするならば、奈良原一高のは「わからない写真」と言える。
ここで「わかること」と「わからないこと」の間にはどのような違いがあるのかを考えてみよう。写真を見てそこから何を想像できるのか、この視点で対象を見てみよう。
土門が撮った「筑豊のこどもたち」を例にとる。この写真には二人の姉妹が写っている。この姉妹が着ているものは粗末なものである。家の入口から顔をのぞかせている。家の中は薄暗い。。写真の右にいるのが姉である。姉は不安そうなまなざしをカメラに向けている。一方、妹の表情には少しばかりの笑顔が見て取れる。
ここから想像を働かせると、姉妹が置かれた状況を次のように推測が可能になる。
彼女たちには親の片方がいない。姉妹は炭鉱住宅に住んでいるのだが、炭鉱そのものの閉山の影響で、彼女たちはいつそこから退去しなければならないかもしれない境遇に置かれている。姉の不安そうなまなざしからは、彼女たちの置かれた境遇が伝わってくる。
土門のカメラのレンズはそのような姉妹のありようをそのままに写し取る。そして、この写真を見る人にはそのようにして写真に写っている事柄の意味が「わかる」ようになる。その写真からは姉妹の生活の厳しさが伝わってくるのだ。
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