8月5日となりました。バイク旅の最終日です。
いよいよ今日は故郷へ向け帰る日です。帰りに備えて荷物の整理と、バイクの点検を行いました。
チェーンが少し緩くなっていましたのでチェーンを張りなおしたり、ブレーキ液の点検などを行い、異常がないことを確認。
日中の安中市の気温は35度。とてもバイクで走れる気温ではありません。
夕方の4時頃となり、気温も下がってきましたので出発しました。国道18号を高崎に向かいます。
高崎までの18号国道は交通量も多く、渋滞にも合いました。
特に高崎市内の渋滞はひどくて、クラッチ操作を頻繁に行わなくてはなりません。
先月にクラッチケーブルを新品に取り換えておいてよかったと実感。
高崎から関越道に乗って新潟を目指しました。関越道に入ってからは交通量も少なく、快適な走行でした。
谷川岳パーキングで水分補給のため小休止。そこのパーキングがとても立派に改装されていたのにびっくり。以前の小さくて古びた面影は全然ありません。一部で舗装工事がまだ行われていました。お盆休みに間に合わせるため急ピッチで工事が行われているようでした。
谷川岳サービスエリアで一服がてら友人にメールで居場所を発信したのが17時32分でした。
安中を出発してからそこまでは1時間半ぐらいでしたので、まあまあ順調な走りでした。
その後、北陸道の黒崎パーキングエリアでバイクとライダーへの給油のため、小休止。午後7時頃でした。
日本海沿いを北上している高速道路は新潟県の村上市でいったん途切れ、山形県と秋田県の一部では未開通の区間があります。
国道7号の村上市にある「道の駅朝日」の近くのコンビニで水分補給のため小休止。
それからは山形県の「道の駅しゃりん」(鶴岡市)まで国道7号をひとっ走り。そこで仮眠をとるつもりで寄ったのです。
畳敷きの仮眠室にはすでにライダーが5人も就寝中、隣のベンチがある部屋の床には、これまたマットを敷いてライダーがお休み中。
仕方なくベンチに横になり、仮眠をとりました。
バイクでの長時間の走行は同じ姿勢をとらざるを得ないこともあり、体の一部だけに負担が集中してしまいます。
特に、両脚の末端までの血液の循環が充分には働かないこともあって、足がむくんできやすいのです。
エコノミー症候群になりやすいのです。
そんな時はたとえ眠らなくとも、ブーツを脱いで横になっているだけでも疲労は回復します。
そうして小一時間ほど仮眠をとり、秋田に向け再出発しました。
バイクに乗る前に夜空を見上げてみました。そこには来た時と同じ星空がありました。北斗七星の輝きも同じでした。
ああ、帰ってきたんだとの実感がわいてきました。
もう少しだ、と自分に言い聞かせ北を目指して出発です。
秋田の自宅についたのは午前2じ過ぎでした。でも家に入るのに一苦労。
実は家人には朝に到着と連絡してあったので、家に入れないのです。
うーん、困った。いっそこのまま北に向かって走っていこうかなどとも思いましたが、そうすると明け方には青森まで行ってしまいますね。そんなことはできませんね。
やむなく携帯で家人を起こしてみることにしました。枕元に携帯を置いててくれればいいんだが、そうでなければ自分の車庫で寝なければなりませんでした。
まもなく電話が通じて、家に入れてもらうことが出来た次第です。
朝を迎えると8月6日です。6日は竿燈祭りの最終日です。
竿燈まつりの写真を撮ろうと前から決めていたので風呂にも入らずすぐ寝ました。
6時半には目が覚めてしまいました。
真夏の暑さや、夜間走行での心細さなど、いろんなことがありました。
でも無事に帰れたのは出会った人たち、そして帰りを待ってくれている人たちのおかげでした。
ありがとうございました。
このバイク旅の全走行距離は1796キロ。消費したガソリンは80.8リットルでした。平均燃費は22.2キロでした。
高速道をハイアベレージで飛ばしたので、燃費は思ったほどよくはありませんね。
最後にこのバイク旅の目次を作ってみました。
1回目 バイクに乗るのはブログを書くよりずっと楽。(バイク旅その1)
2回目 ビーナスラインを走る(バイク旅その2)
3回目 安中市で白井晟一の作品に出合う(バイク旅その3)
4回目 大府市で飲んだお酒はおいしかった(バイク旅その4)
5回目 安中市でレアな場所を訪ねる(バイク旅その5)
最終回 帰りはやはり気分が晴々(バイク旅その6)
ピンク色の文字をクリックすると当該の記事を見ることが出来ます。
このようにして、ぼくのバイク旅の記録は終わりますが、旅はまだまだ続きます。
そう、ブログの旅はこれからもずうーっと続けていきます。
大事なことを忘れるところでした。
この旅の相棒に感謝するのを忘れていました。
相棒は次の方。
ライダーを旅に連れて行ってくれた大事なパートナー。ZZR250君です。23歳にもなる高齢なのですが良く走ってくれました。
30数度の暑さの中も音をあげることなく、また130キロを超えるスピードでの数時間の巡行など、何一つ不満を言うこともなく立派に役割を果たしてくれたことは有り難いことです。
ZZR250よ、ご苦労さんでした。
いよいよ今日は故郷へ向け帰る日です。帰りに備えて荷物の整理と、バイクの点検を行いました。
チェーンが少し緩くなっていましたのでチェーンを張りなおしたり、ブレーキ液の点検などを行い、異常がないことを確認。
日中の安中市の気温は35度。とてもバイクで走れる気温ではありません。
夕方の4時頃となり、気温も下がってきましたので出発しました。国道18号を高崎に向かいます。
高崎までの18号国道は交通量も多く、渋滞にも合いました。
特に高崎市内の渋滞はひどくて、クラッチ操作を頻繁に行わなくてはなりません。
先月にクラッチケーブルを新品に取り換えておいてよかったと実感。
高崎から関越道に乗って新潟を目指しました。関越道に入ってからは交通量も少なく、快適な走行でした。
谷川岳パーキングで水分補給のため小休止。そこのパーキングがとても立派に改装されていたのにびっくり。以前の小さくて古びた面影は全然ありません。一部で舗装工事がまだ行われていました。お盆休みに間に合わせるため急ピッチで工事が行われているようでした。
谷川岳サービスエリアで一服がてら友人にメールで居場所を発信したのが17時32分でした。
安中を出発してからそこまでは1時間半ぐらいでしたので、まあまあ順調な走りでした。
その後、北陸道の黒崎パーキングエリアでバイクとライダーへの給油のため、小休止。午後7時頃でした。
日本海沿いを北上している高速道路は新潟県の村上市でいったん途切れ、山形県と秋田県の一部では未開通の区間があります。
国道7号の村上市にある「道の駅朝日」の近くのコンビニで水分補給のため小休止。
それからは山形県の「道の駅しゃりん」(鶴岡市)まで国道7号をひとっ走り。そこで仮眠をとるつもりで寄ったのです。
畳敷きの仮眠室にはすでにライダーが5人も就寝中、隣のベンチがある部屋の床には、これまたマットを敷いてライダーがお休み中。
仕方なくベンチに横になり、仮眠をとりました。
バイクでの長時間の走行は同じ姿勢をとらざるを得ないこともあり、体の一部だけに負担が集中してしまいます。
特に、両脚の末端までの血液の循環が充分には働かないこともあって、足がむくんできやすいのです。
エコノミー症候群になりやすいのです。
そんな時はたとえ眠らなくとも、ブーツを脱いで横になっているだけでも疲労は回復します。
そうして小一時間ほど仮眠をとり、秋田に向け再出発しました。
バイクに乗る前に夜空を見上げてみました。そこには来た時と同じ星空がありました。北斗七星の輝きも同じでした。
ああ、帰ってきたんだとの実感がわいてきました。
もう少しだ、と自分に言い聞かせ北を目指して出発です。
秋田の自宅についたのは午前2じ過ぎでした。でも家に入るのに一苦労。
実は家人には朝に到着と連絡してあったので、家に入れないのです。
うーん、困った。いっそこのまま北に向かって走っていこうかなどとも思いましたが、そうすると明け方には青森まで行ってしまいますね。そんなことはできませんね。
やむなく携帯で家人を起こしてみることにしました。枕元に携帯を置いててくれればいいんだが、そうでなければ自分の車庫で寝なければなりませんでした。
まもなく電話が通じて、家に入れてもらうことが出来た次第です。
朝を迎えると8月6日です。6日は竿燈祭りの最終日です。
竿燈まつりの写真を撮ろうと前から決めていたので風呂にも入らずすぐ寝ました。
6時半には目が覚めてしまいました。
真夏の暑さや、夜間走行での心細さなど、いろんなことがありました。
でも無事に帰れたのは出会った人たち、そして帰りを待ってくれている人たちのおかげでした。
ありがとうございました。
このバイク旅の全走行距離は1796キロ。消費したガソリンは80.8リットルでした。平均燃費は22.2キロでした。
高速道をハイアベレージで飛ばしたので、燃費は思ったほどよくはありませんね。
最後にこのバイク旅の目次を作ってみました。
1回目 バイクに乗るのはブログを書くよりずっと楽。(バイク旅その1)
2回目 ビーナスラインを走る(バイク旅その2)
3回目 安中市で白井晟一の作品に出合う(バイク旅その3)
4回目 大府市で飲んだお酒はおいしかった(バイク旅その4)
5回目 安中市でレアな場所を訪ねる(バイク旅その5)
最終回 帰りはやはり気分が晴々(バイク旅その6)
ピンク色の文字をクリックすると当該の記事を見ることが出来ます。
このようにして、ぼくのバイク旅の記録は終わりますが、旅はまだまだ続きます。
そう、ブログの旅はこれからもずうーっと続けていきます。
大事なことを忘れるところでした。
この旅の相棒に感謝するのを忘れていました。
相棒は次の方。
ライダーを旅に連れて行ってくれた大事なパートナー。ZZR250君です。23歳にもなる高齢なのですが良く走ってくれました。
30数度の暑さの中も音をあげることなく、また130キロを超えるスピードでの数時間の巡行など、何一つ不満を言うこともなく立派に役割を果たしてくれたことは有り難いことです。
ZZR250よ、ご苦労さんでした。
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