ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

未確認飛行物体(UFO)は確認できない限りでは存在するか?

2018年06月26日 19時12分17秒 | お題に応えて
確認できない以上、存在も非在のどちらかもあり得るとの考え方があることは認めます。

一方、自分の眼で確認できないことの存在を、認めない立場の人もおります。
眼にした以外のことを信じないと思う人たちです。
「確かに自分は見たのだ」と思い込む人はUFOの存在を信じるかもしれません。
それではそのような考えの人は、地球が丸い事を信じているでしょうか?
肉眼で「地球が丸い」ことを確認した人は全人類の中の何パーセントいるのでしょうか?
宇宙飛行士などのほんの少数の人だけが地球が丸い事を彼の肉眼で確認しただけでしょう。
にもかかわらず、少なくとも小学校に行ってる子供たちの年齢以上の人は、地球が丸い事を疑う人はいませんね。
現象を理論的に説明できる限りにおいてはその理論的な根拠を疑うべきではないと思います。

さて、ここで「UFOがいるのか、いないのか」を論理学的に考えてみましょう。
それは存在するものやかって存在した事柄についての証明は比較的に楽にできます。
ですがが、「無い事」の証明は実はむづかしいのです。

UFOが居ないことを証明するのは、「まだ起きていない事柄」を証明しようとすることに似ています。
ここで別のことを事例に揚げてみましょう。
霊魂の存在を信じている人がいるとしましょうか。
「霊魂がある事」の証明は、見たことがあるという人々の「証言」だけです。
形として、人々の眼前に現わされている訳ではありませんが、さりとてその非在を証明することも、また困難なことです。
なぜなら、「無い物」の存在は、「無い」ということ以外には述べられないからです。
UFOがいるのかそうでないのかは、実はそのような問題なのです。

わたくしの結論を言いますと、論理的に言えば「無い物」の存在は証明できないとの立場ですが、多くの「UFO現象」が他の自然現象から解明できるとすれば、「熱烈なUFOファン」からすれば認めたくないでしょうが、いないとみなすべきだと思います。








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1 コメント

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Unknown (未確認投稿人)
2019-01-05 20:28:14
実体のないもので名前の付いたものは沢山あります。

「倦怠感」を肉眼で見た人はいませんが、この言葉が廃止されたら翌日からとても不便ですよ。「病気なのか本人がたるんでるだけなのか原因はいろいろあるだろうが何しろカッタルくてやる気がない、そういう状態」なんて毎回言わされるんですから。見えないので倦怠感など存在しない」と主張しますか?構いませんが翌日から「かったるい」と言えなくなって困る人のなんと多いこと。

同じように、世界中であるふれて人の話に良く出てくるが、そのたびに「証拠がなく何なのかもわからないが飛んでいるのを見たという報告のあるもの」などと言うのは不便で仕方がないから「未確認飛行物体(UFO)」というのです。そういう現象(人がそういう報告をするという現象)は、こんなに世界中でクサるほどあるので、いまさら「存在しない」などと言えません。お話を一歩進めると、

現状は
# UFOはいる。
@ いないよ。
# いない証拠を見せろ。できないだろう。だからいるんだ。

本来は
# UFOはいる。
@ どうかわからない。いる証拠を見せろ。
# ない。
@ だから、いるとは言い切れないんだ

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