あけましておめでとうございます。
昨日は、北海道神宮へ初詣です。 例年のように、普通の厄払い「厄払開運」をしてきました。今年もスッキリ気分で行きたいものです。
天候にも恵まれたので、人出も多くいました。
今年はちょっと期待していた「東海大学」が箱根駅伝の優勝の一報をネットニュースで知ることになり、なおも気分が良くなります。(遠い昔、湘南校舎のOBです・・・陸上部ではありません)
※雪がないわけではありません。滑り止めに砂を巻いています。
帰り道に市中の郵便局をみると、多くの車で駐車場が混んでいます。
その車から降りてくる多くの人が、年賀状を片手に足早に郵便局内に入って行く姿です。
多くの人は、年賀状が着てから出すのが普通になっているような気がする。
最近では、終活年賀状とか年賀じまいなどと年賀状のやり取りを終了する機運が高まっているので後出しとセットになっているように思う。
この「後出し年賀」は、きっとその傾向を推し進めるような気がする。
日本人のもっている気遣いがあるからこそ、遅れても返事をだす気持ちがここに来ている人なら、これを機会に「終活年賀状」の一文を入れやすいような気がする。たまたまかも知れないが年配の方が多いように思われた。
実際、私のもとに最近来た二通の「終活年賀状」はどれも、元旦到着のものではなく、こちらからの到着に返信というなかで、一文添えられたものだった。きっと重荷になると感じたのだろう。
話は変わるが、昔からすごく疑問に思っていたことがある。
年々、年賀状の発行枚数が少なくなっているという発表のなかで、元旦の到着日数が7日間の予約日数が必要なところでである。
今年で例えると、12月25日までに投函した年賀状が、2019年1月1日に到着するというもの。
通常の郵便物が、北海道から中一日、3日間で届くのに比べてサービスの質が低下したモノに62円という金額に納得できなくなってきている。
このサービスについては、誰も7日間かかる納期が、今の時代と合わないと思っていないところに問題がありそうに思う。
もう一つ、もう古い記事を引っ張りだしてみるが、
2016/10/25付け「日本経済新聞」
この記事にあるように、一昨年から1月2日は、年賀状の配達をしなくなった。当然2019年も配達はない。
年賀状のマナーというものがある。その常識として「1月7日の松の内」までという決まりがある。2日に到着していたなら、何とか年賀状を用意してその日まで間に合いそうだと考えてしまう。自分の住む市内ならイザ知れず、遠方なら1月3日・4日までの投函が勝負である。
事実、年末まで多く残していたコンビニで売られている年賀状も、この頃になると一気になくなって行くことでも判断できる。
1月2日の配達の中止は、経費の削減が一番の理由だろうが、今回の「あとだし年賀状」を出す人をみると、その部分も煩わしさを増やしている気がする。
もう営業ノルマで販売数を伸ばすよりも、伝統を重んじるような「ロングテール市場」として生きる方法を考えるか、これまでの郵便の機動力をAIやIoTに置き換えて「年末31日まで投函を受け付けて元旦に届くサービス」の提供など、これまでと違った道を模索するしかないように思えてくる。
以前のblogにも書きましたが、目上の人への書き方や、昔のように手作り年賀状の版画づくりやスタンプ作りなどのノウハウ指導のイベントも楽しそうだ。
>>『年賀状はなぜ売れないか、スマホ経済圏だけではない。』
※年賀状のトリセツ「時節の挨拶文の意味がわからない」 goo blogから
宛名を習字で書く練習などで「年賀状」に対する伝統を守っていく責任があるのではないかと思う。
民間になって利益を上げる事は当たり前だが、それを営業ノルマという自分都合ではなく、本来の民間の姿であるサービスの充実の上に成り立つ事を分かってほしいと思います。
人口減少の日本での「適正」とは何か?その疑問のヒントになるような書籍です。
こちらは、上・下巻のうちの下巻です。大きな企業ほど読んで見る価値があるように思います。
Kindle版がないので、紙の書籍となります。