内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

鶴見俊輔『竹内好 ある方法の伝記』を読みながら(その五)― 「思想的肉体」

2014-02-03 00:48:00 | 読游摘録

 戦後の竹内の思想形成の歩みに触れた鶴見の評言を「大東亜戦争記念の碑」と題された章から引く。

一つの生を歩いていく限り、生きる力の一部分として転形をさけることは出来ない。歩く途上で、偏見だけで歩き続けられないのを知って、偏見をただす努力はする。しかし、偏見から、完全に離れることはできない。竹内好は他人の偏見を楽しむことを知り、自分に活力を与えている偏見に好意を持ち、その偏見が知識と衝突する局面に対して敏感である。最後まで偏見を失うことはない(162頁)。

 鶴見によって見事に捉えられた竹内のこの思想的基本姿勢は、いかなる立場にあったとしてもそれを自らの思想形成の基礎に置くことができるという意味で、一つの普遍性にまで到達していると言える。この基本的姿勢からはいろいろな帰結が導き出せるが、その一つは、あらゆる「正しい意見」あるいは「善い考え」は、それらが一方的に主張され、他の意見・考えを排除するとき、そうする者に、自らの転形を不可能にし、自らの生きる力を失わせるということだ。それだけではすまない。他人が自由にその「偏見」を主張することを受け入れ、それを楽しむ心の余裕が失われ、それに耳を傾け、意見を交わす対話の空間を消滅させ、したがって他人の「偏見」から活力を与えられることもなくなり、自らの「偏見」を新しい知識によって検証する機会も失われてしまう。結果として、自分だけのことではなく、他人のことも含めて、人間における生命の躍動が失われ、生命力が枯渇していくことにもなりかねない。「正しい意見」「善い考え」しか認めない世の中は、したがって反生命的であり、そのような世の中は思想的にも貧困化せざるを得ない。これは物質的貧困より遥かに深刻な問題だ。
 鶴見は、「善に善を重ねる議論を彼は信用しなかった」という。竹内自身、岩波書店の雑誌『世界』の座談会に出た時の感想の中で、座談会に出席していた「秀才たち」の発言について、「たぶんそれは全部正しいにちがいないのだ。けれども正しいことが歴史を動かしたという経験は身にしみて私には一度もない」と記している(鶴見前掲書163頁)。
 上に引用した思想的基本姿勢を、竹内はどこまでも貫こうとした(生涯貫きえたかどうかについては、吉本隆明の竹内好追悼文「竹内好 反近代の思想」(『増補追悼私記』洋泉社、1997年)を読むと、若干留保する必要があるように思われるが、その点にここでは立ち入らない)。

 自分の立場を純粋な善一つに還元する理想主義の手順から彼はくりかえし自由になろうとする。同時に失敗に終わることを知っていながら、新しく自分にわなをかける。大東亜戦争の予測に失敗したから戦後については何も言わない、というような道を彼は採らない。戦後中国の文化大革命に至る道筋について彼は予測に失敗し、その予測の失敗を認めつつ、彼は中国について評論することをやめない(163頁)。

 「正しいこと」を終始一貫主張し続けることが思想家を思想家たらしめているのではない。自らの「偏見」をそれとして主張しつつ、独善に陥らず、絶えずそこから自由になるための準備を怠らないことが一個の思想家の「思想的肉体」(吉本前掲書185頁、鶴見前掲書185頁)を鍛えるのだ。一つの「偏見」からの解放の機縁は、自らの予測の失敗を証明する出来事によって、自分のそれとは異なった他者の「偏見」によって、自分の無智と盲目を教える新しい知識によって与えられるだろう。そして、その解放はあらたな「偏見」として主張され、それもまたいずれ吟味に付される。精神の弛緩に他ならない相対主義にも、怯懦の別名にすぎないニヒリズムにも陥らずにこの思想的基本姿勢を貫くこと、そのことに竹内好の思想的生涯は賭けられていたと言うことができるだろう。