内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

心の乾きを癒してくれる文学作品を求めて神保町を彷徨う

2015-07-28 01:09:00 | 読游摘録

 田辺元の哲学論文の恐ろしく硬質な文章と毎日何時間も向き合っていると、悲しいかな、浅学非才かつ卑俗の身、段々心身ともにしんどくなってくる。著者の真摯なる哲学的思索の持続力を讃仰しつつも、心が乾いてくるのをどうすることもできない。脳が脱水症状を起こし、痙攣しそうになる。
 そんなとき、その精神の乾きを癒してくれるような、潤いのある文章が無性に読みたくなる。脱水症状を起こしている人にアルコール飲料などもってのほかであるのと同様、そんなときに人を酔わせるような美文はもちろんいけない。そうかといって、気楽に読み流せるような娯楽的文章では、またすぐに喉が乾いてしまう。古典を味読しながらゆっくりと静養している時間もないし、またそこまでの必要もない。滋養があって味わい深く、そして息長く生き続ける現代の文章がいい。
 そんな内語に誘導されるように集中講義の帰り途に途中下車した神保町の本屋街を彷徨っている私の目に向こうから飛び込んできたのは、以下の五冊。即座に購入したのは言うまでもない。

藤沢周平『市塵(上・下)』(講談社文庫、2005年)
足立巻一『やちまた(上・下)』(中公文庫、2015年)
原民喜『原民喜戦後全小説』(講談社文芸文庫、2015年)

 藤沢周平は三十年来愛読している作家。特に市井ものの短編を好む。『橋ものがたり』『時雨のあと』『時雨みち』など。絶妙の筆致で描き出される、健気で凛とした藤沢作品の女性たちには、本当に惚れてしまう。『市塵』は、しかし、新井白石を主人公とした長編。さりげない仕草の描写一つで登場人物たちの性格や心の動きを見事に描き出すその文章は、その人物たちが生動する物語世界へと読み手を一気に引き入れる。歴史の教科書や学者の書いた伝記の中では出会えない新井白石がそこに生きている。
 足立巻一もかつては新刊が出るとすぐに買って読んでいた。『夕刊流星号』『戦死ヤアハレ』『虹滅記』など。しかし、なんといっても、本居宣長の長男として生まれ、三十代半ばで失明しながら、日本語の動詞活用研究に不朽の業績を遺した本居春庭の評伝『やちまた』が、質量共に圧倒的である。この大著を最初に一気に読んだ三十年数年前の感動を今も忘れない。
 原民喜の小説もこれまで繰り返し読んできた。最愛の妻を病で失い、広島で原爆の言葉に尽くせぬ惨禍を目の当たりにし、最後は線路に身を横たえて自ら命を絶った、普通に世間を渡って行くにはあまりにも繊細な感受性を持ちすぎたこの詩人作家が私たちに遺してくれた奇跡のように美しい作品を、私はこれからも繰り返し読み返すだろう。
 岩波文庫の今月の新刊の一冊は、『原民喜全詩集』である。原民喜が遺書として友人遠藤周作に遺した最後の詩は「悲歌」と題され、その最後はこう結ばれている。

私は歩み去ろう 今こそ消え去つて行きたいのだ
透明のなかに 永遠のかなたに

 民喜の作品は、その透明な永遠のかなたから、私たちの生きる世界を今も逆照射し続けている。