内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

工業技術文化の形成を目指して ― シモンドン研究を読む(3)

2016-09-04 15:19:17 | 哲学

 昨日から紹介を始めた Gilberte Simondon. Une philosophie de l’individuation et de la technique に収められた Hubert Curien の開会の辞は、同書の元になっている1992年のシンポジウムがどのような研究プロジェクトの中で企画・実現されたかを説明している。
 以下に記すのは、その説明について私のコメントである。
 そのプロジェクトを共同で推進していたのは、Cité des Sciences et de l’Industrie、Écoles normale supérieure、Collège international de philosophie であり、そのことだけからでもこのプロジェクトに与えられていた目標の新しさと大きさとがわかる。
 現代の工業の急速な発展がもたらすであろう社会的・文化的・認識論的帰結とそこから発生するであろう諸問題を、自然科学と人文社会科学との知見を積極的に対話させながら検討することを哲学の使命とするというそのプロジェクトの学問的姿勢は、当時としてはまだ稀な試みであったが、そのような革新的な企図は、まさにシモンドンの哲学的精神を受け継ごうという意思に裏づけられている。
 今日、このような企図は、哲学者たちによってばかりでなく、むしろ科学者や技術者たちによってより良くかつ広く理解されるようになっており、そのことが二十一世紀に入ってからのシモンドン研究の急速な発展を部分的に説明してもいる。
 技術革新と工業生産及びそこから生まれる技術的対象である工業製品の存在論的身分を自身の個体化論が切り開いたパースペクティヴの中で哲学的に考察することを半世紀以上前に自らの使命としていたシモンドン哲学の先見性は特筆に値する。
 しかし、まさにその哲学の先見性ゆえに、そしてその視野の度外れな広大さ、目眩を引き起こすような議論の複雑さ、独創的な鍵概念が引き起こしがちな誤解などのゆえに、生前には、その哲学が有している現代社会における重要性に見合うだけの関心を引き起こすことはなかった(こう言った後にドゥルーズを例外として挙げるのがシモンドンニアンたちの慣例であるが、そのドゥルーズもシモンドン哲学の射程を十全に理解していたとは言い難い)。
 開会の辞の最後の段落を引用する。

Il s’agit alors de penser ce que peut être une culture technique industrielle. Cela suppose l’élaboration d’une véritable théorie de l’évolution technique, fondement d’une authentique culture de la technique industrielle, d'autant plus nécessaire que les rapports de l’homme, de ses objets techniques et de son milieu sont en pleine transformation. Simondon tente de penser celle-ci par le concept de milieu associé, ainsi que par ses riches analyses du couple individu-milieu, qui devient avec lui un vrai concept. L’écologie trouvera peut-être ici de véritables instruments de pensée (op. cit., p. 15).

 現代の私たちが必要としているのは、本格的な工業技術文化の構想である。その構想は、技術の進歩についての本物の理論の形成を前提とする。今日、人間とその環境との関係の変化は、その多くが技術的対象によって媒介されている。そして、その人間と環境との関係は多元的・多層的である。そのような多元的・多層的関係性を、変化し続ける動態の相の下に、そして場合よっては進化する動態の相の下に総合的に考察すること、それがシモンドンの哲学的企図であり、今日の私たちが継承しなければならない使命である。