内的自己対話-川の畔のささめごと

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共同体の拘束を超脱する「純粋な個体」としての技術者 ― シモンドン研究を読む(16)

2016-09-18 07:24:19 | 哲学

 ILFI の補遺の一つ « Note complémentaire sur les conséquences de la notion d’individuation » 第二章 « Individuation et invention » 第一節 « Le technicien comme individu pur » 冒頭の読解を続けよう。

Il [=le médecin] n’est pas seulement un membre d’une société, mais un individu pur ; dans une communauté, il est comme d’une autre espèce ; il est un point singulier, et n’est pas soumis aux mêmes obligations et aux mêmes interdits que les autres hommes (p. 511).

彼[=医者]は、単に一社会の一成員なのではなく、一個の純粋な個体である。ある共同体にあって、(他の成員とは)別の種に属しているようなものである。一個の特異点であり、他の人たちと同じ義務と禁止には拘束されていない。

 節のタイトルにもあり、この引用の中にも出て来る「純粋な個体」(« individu pur »)がこの文脈での鍵概念である。どのような意味で「純粋」と言われているのだろうか。
 ここまでは共同体(あるいは社会)における医者の特権的(もちろん今日的な意味での社会構造の観点からではなく、むしろ人類学的観点から見たときの)立場が考察対象であったが、この引用の直後には、ある共同体で他の成員たちに対してやはり特権的な立場に立つ者の例として、魔術師と司祭が挙げられていることからもわかるように、問題は、彼らが共同体内で特別な位置を占め、特別な機能を果たすのは何に拠るのか、ということである。
 その答えを一言で言えば、共同体内での一般的義務・禁止事項等によって一切拘束されることがなく、他の成員たちには「隠された」〈自然〉(人間身体もそこに含まれる)と直接交信し、その〈自然〉に直接働きかけることができる力能である。だからこそ、共同体の首長・王であっても、彼らには従わざるを得ない。

Le technicien, dans une communauté, apporte un élément neuf et irremplaçable, celui du dialogue direct avec l’objet en tant qu’il est caché ou inaccessible à l’homme de la communauté ; le médecin connaît par l’extérieur du corps les mystérieuses fonctions qui s’accomplissent à l’intérieur des organes. Le devin lit dans les entrailles des victimes le sort caché de la communauté ; le prêtre est en communication avec la volonté des Dieux et peut modifier leurs décisions ou tout au moins connaître leurs arrêts et les révéler (ibid.)

技術者は、ある共同体内にあって、新しく掛け替えのない要素をもたらす。それはその共同体の人には隠されており、近づき難いものとしての対象との直接対話である。医者は、内臓器官の内部で実現されている不可思議な機能を体の外から知る。占い師は、犠牲者の臓腑のうちに共同体の運命を読み取る。司祭は、神々と交信し、神々の決定を変更させるか、あるいは少なくとも神意を知り、それを顕にする。

 共同体内にあってその共同体の拘束を超脱し、自然的対象と直接「対話」し、そこから何かを読み取り、あるいは何らかの変更をもたらし、さらには何らかの生産を可能にする者、それが「技術者」なのである。〈自然〉との関係のこの直接性がシモンドンの言う純粋性に他ならない。