内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

皇祖神の誕生、あるいは太陽女神による自己鏡像の誤認 ― 福田拓也『「日本」の起源』に寄せて

2017-05-17 23:59:59 | 読游摘録

 昨日午前中、大学に会議のために出向いたとき、自分用の郵便受けに日本から送られてきた本が一冊入っていました。詩人の福田拓也氏がご恵送してくださったご自身の最新刊『「日本」の起源』(水声社)でした。氏とは二〇一五年三月のCEEJAとストラスブール大学とで三日間に渡って開催されたシンポジウム「間(ま)と間(あいだ)―日本の文化・思想の可能性」でご一緒したのが知り合うきっかけでした。昨年初めにも何冊かご著書を送ってくださり、その時点での最新刊『小林秀雄 骨と死骸の歌 ―ボードレールの詩を巡って』(水声社)については拙ブログでも一度取り上げことがあります(こちらがその記事)。
 今回のご著書は、「あとがき」を読むと、上記のシンポジウムでの訓読と『万葉集』の表記についてのご発表がきっかけになって書かれたという。
 帯には、「『古事記』の「天の岩屋戸神話」と山上憶良の「日本挽歌」着目しながら、日本の起源ともいえるアマテラスの誕生の謎をたどる。古来から連綿と息づき、いまも日本人の深層意識に眠る「日本」という複合的システムの在り処を探った画期的な日本論」とあります。
 本書は、大きく二部に分かれ、前半が「アマテラスの誕生」、後半が「古代言語論」と題され、前者は、「天の岩屋戸神話と太陽女神」「太陽女神ヒルメによる鏡像の誤認」「天皇制の起源―鏡・物語・ヒルメの身体の消去」の三節からなり、後者は、「訓読―漢語と倭語の消滅と原=日本語の誕生」「万葉仮名と起源的暴力の隠蔽」「隠喩―「妹」の死と事物の出現」「日本語の誕生と「日本」の起源」の四節からなっています。
 全体が詩人の直観に貫かれた大変刺激的な論攷になっています。著者ご自身が言うように、皇祖神としての天照大神の誕生に、天の岩屋戸に引き籠もった太陽女神「ヒルメによる自身の鏡像の誤認」が決定的なファクターになっているという指摘は極めて魅力的だと私も思います。本書の論述の中には『古事記』の本文によって必ずしも支持され得ない断定も散見されますが、詩的直観に支えられた洞察が随所に見られて、読み進めながらこちらの思考が活性化される愉悦を味わうことができています。