日本古代史の授業では、先週から遣唐使の話をしている。
命がけで海を渡り、学業に打ち込んだであろう古代日本の留学生たちの実情について、さまざまな事例を話している。それは、異国の文化を現地で学ぶとはどういうことのなのか、学生たちに我が身に引きつけて考えてほしいからである。
遣唐使の一員として唐に渡り、現地で長年研鑽を積んだ留学生たちは、皆が皆、帰国後に無条件にしかるべき地位を得たわけではない。
在唐三十一年の後に帰朝した行賀は、唐で法相と法華とを学んだといわれているが、、帰朝直後に受けた留学成果を試す口頭試問の際にはかばかしく答えることができなかった。
口頭試問にあたった東大寺僧明一は、折角こんなに国費を使って学業をしてきたのに、この程度の学識しか得られなかったのか、こんなことなら、とっとと帰ってくればよかっただろうに、と口をきわめて行賀を罵倒する。行賀はそれを聞いて恥じ入り、大粒の涙を流す。
行賀伝は、あまりにも中国生活が長ったために日本語が下手になってしまったからうまく答えられなかっただけである、それに、学識と論争術は別物だ、と弁護している。
それはともかく、国費で留学した以上、それに見合う成果をあげなければならぬという使命感が途方もない重圧として行賀にのしかかっていたことは間違いないであろう。
今日は、来年度日本留学希望学生の願書締切り日であった。みんな緊張した面持ちで願書を手に面接に来た。皆、自分の将来のために、日本に行って勉強したいわけである。もちろんそれでいい。それぞれに志望動機は願書に明確に表明されている。
古代日本の遣唐留学生と現代フランスの日本留学希望学生とを比較して云々することなど、もちろん意味がないだろう。ただ、「自分のため」という個人的な動機をどこかで超えていってほしい、と私は切に願う。