内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

よりよき表現を求めての終わりなき探究

2018-01-05 23:59:59 | 雑感

 このブログの文章表現について、一言申し上げておきたく存じます。
 このブログの記事を書くとき、わざわざ小難しい言い回しを選んでいるということはありません。ただ、自分ではそんなつもりはなくても、読まれる方にとっては、ちょっと理解しがたい、あるいは抵抗があるような言葉づかいを知らず知らずのうちにしているということは多々あると思います。そんな言葉づかいに対して面と向かっておしかりを受けることはほとんどありませんから、ついついひとりでいい気になっているということもあることでしょう。
 やさしい言葉で事柄をきちんと伝えるということは、簡単なことではありません。一部の人たちに通じる言葉を使って、その人たちだけに向かって発信するほうが簡単なことです。わかってくれる人がわかってくれればいいさと開き直ってしまえば、それまでです。そんな場所にとどまっているほうが確かに楽に違いありません。
 では、どうやったら、もっとやさしく、事柄のひだにぴたりとそった、読み手の心に届く開かれた表現ができるようになるのでしょうか。こう問われれば、私は答えに困ってしまいます。
 ときどき、ああ、こんな文章が書けたらいいのになあ、そう思わず感嘆の声を上げたくなるような素敵な文章に出会うことがあります。羨ましく思います。でも、そのような文章の真似をしても、同じ結果が得られるわけではありません。学ぶことは真似ることから始まるとしても、真似が真似にとどまるかぎり、ほんとうに学んだことにはなりません。ほんとうの表現力を身につけたことにはなりません。
 毎日文章を書き、それをブログの記事として人前に晒す、という単純な原則は、私にとって、単なる自己満足のためでもないし、人に認めてもらいたいという承認欲求によって支えられているわけでもありません。
 毎日文章を書くことは、私の中ですでにすっかり習慣化しています。明日もまた文章を書くでしょう。でも、それは、これまでしてきたことの単なる延長や繰り返しではありません。毎日が新しい試みなのです。その試みは、ちょっと大げさに聞こえるかも知れませんが、事柄そのもののよりよい表現を求めての終わりなき探究のためなのです。