内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

情緒論素描(七)― 人間の心の二元素、懐かしさと喜び

2020-09-28 00:00:00 | 哲学

 岡潔『数学する人生』(森田真生編)の第一章には、岡潔の京都産業大学での最終講義(1971年度)が編者によって圧縮・編集された形で収められている。その講義は編者によって「懐かしさと喜びの自然学」と題されている。小見出しも編者による。
 その小見出しの一つが「懐かしさと喜び」である。そこで岡は、人の心は、簡単にいえば、懐かしさと喜びからなっていると言う。赤ん坊は情で「生きることの喜び」がわかっていて、それが幸福だと言う。そして、禅の「尽十方界是全身」という言葉を引き、それについてこう説明する。

これは何を見ても、何を聞いても懐かしいということです。この懐かしさの心が健全に発露していると、生き甲斐とか幸福とかいうものを感じるのです。
 外界はすべて懐かしく、そうであることが嬉しいという、これが大宇宙の心です。ところが、小我だけを自分だと思って、小我中心に考え、感じ、行為していると、その心の働きが止まってしまうのです。
 大宇宙は一つの心なのです。情だといってもよろしい。その情の二つの元素は、懐かしさと喜びです。春の野を見てご覧なさい。花が咲いて、蝶が舞っているでしょう。どうして蝶が花のあることがわかって、そこへ来て舞うのでしょうか。
 花が咲くということは、花が咲くという心、つまり情緒が形となって現れるということです。その花の情緒に蝶が舞い、蝶の心に花が笑む。情には情がわかるのです。情の世界に大小遠近彼此の別はないから、どんなに離れていてもわかり合うのです。

 この「懐かしさ」について、森田真生は、「結」の中で、最終講義の別の箇所、大宇宙と人との関係を木と葉との関係と類比的に岡が述べている箇所を引きながら、実に的確な説明を行っている。

 ここで言う「懐かしさ」とは、過去への憧憬のことではなく、周囲と通い合う心の実感のことである。木から切り離されない葉としての自分。常に大地から生命を受け続ける個体としての自分。その全体と個体との連関を実感するとき、人は「懐かしい」と感じる。しかも、懐かしいということは、それだけで嬉しい。

 この「懐かしさ」は、まさに「なつかし」の本来の意味から来ている。この「なつかし」の原義については、昨年6月22日から24日までの記事を参照していただければ幸いである。
 一言で言えば、情緒とは、この「なつかしさ」を感じることであり、風土とは、本来的に「なつかしいもの」のことである。