内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

働かない日本人たち ― 勤勉な近代日本人が失ったもの

2022-12-29 23:59:59 | 読游摘録

 1872年2月、フランス人法学士ブスケ(Georges Hilaire Bousquet, 1846-1937)が司法省明法寮(のちの司法省法学校)の教師として26歳の若さで来日する。1876年5月に帰国するまでの四年余り日本に滞在する。当時未開の法制面に顧問として十分にその役割を果たした。ブスケに代わり、長期にわたって日本の法制の整備に多大な貢献をしたのがボアソナードである(梅渓昇『お雇い外国人』講談社学術文庫、2007年に拠る)。
 ブスケは帰国した翌年に Le Japon de nos jours という二巻本の浩瀚な日本見聞録を出版している。原書は BNF の Gallica で閲覧できるし、ダウンロードもできる。(邦訳は『日本見聞録』というタイトルで、みすず書房から1977年に刊行されているが、未見)。
 本書の中でブスケが記している日本人の仕事ぶりが興味深い。『逝きし世の面影』からの孫引きになるが引用しよう。

日本人の働き手、すなわち野良仕事をする人や都会の労働者は一般に聡明であり、器用であり、性質がやさしく、また陽気でさえあり、多くの文明国での同じ境遇にある大部分の人より確かにつきあいよい。彼は勤勉というより活動的であり、精力的というより我慢づよい。日常の糧を得るのに直接必要な仕事をあまり文句も言わずに果している。しかし彼の努力はそこで止る。……必要なものはもつが、余計なものを得ようとは思わない。大きい利益のために疲れ果てるまで苦労しようとしないし、一つの仕事を早く終えて、もう一つの仕事にとりかかろうとも決してしない。一人の労働者に何かの仕事を命じて見給え。彼は常に必要以上の時間を要求するだろう。注文を取り消すと言って脅して見給え。彼は自分がうけてよいと思う以上の疲労に身をさらすよりも、その仕事を放棄するだろう。どこかの仕事場に入って見給え。ひとは煙草をふかし、笑い、しゃべっている。時々槌をふるい、石をもちあげ、次いでどういう風に仕事にとりかかるかを論じ、それから再び始める。日が落ち、ついに時間がくる。さあこれで一日の終りだ。仕事を休むために常に口実が用意されている。暑さ、寒さ、雨、それから特に祭である。……一家を支えるにはほんの僅かしかいらない。

 幕末から明治前期に来日した欧米人たちが遺した観察記録の中には、今日の日本人と同じような勤勉ぶりを称賛する記述が見られる一方、他方では、このブスケの見解のように、日本人の働かなさぶりを驚きとともに記述している例も少なくない。
 スイスの通商調査団の団長として1859年に来日したルドルフ・リンダウ(Rudolf Lindau, 1829-1910)も、その著書 Un voyage autour du JaponHachette, 1864. 邦訳『スイス領事の見た幕末日本』人物往来社、1986年)でやはり日本人の働かなさぶりに言及している(日本人のうちの「多くは、まだ東洋に住んだことのないヨーロッパ人には考えもつかないほどに無精者である」)。一昨日の記事で話題にしたグリフィスにも(「日本では時は金ではなく、二束三文の値打ちもないことがわかった」)、昨日の記事のモースにも(「日本人は何をやるにしてもゆっくりしているので、外国人は辛抱しきれなくなる」「自分の助手たちは何でも喜んでやるが、時間の価値をまるで知らない」)と、同様な見解が見られる(上記三例は、石川榮吉『欧米人の見た開国期日本』角川ソフィア文庫、2019年に拠る)。
 幕末から明治前期にかけて、少なからぬ欧米人の眼にかくも「無精者」と見えた日本人が数多くいたというのはとても興味深い。明治中期以降、日本人が世界に冠たる勤勉な労働者になった(あるいはならざるを得なかった)ことで得たものも多かろう。しかし、それによって決定的に失われたものもあったことがこれらの記述からわかる。