内的自己対話-川の畔のささめごと

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「依存 dépendance」を内包した「自律 autonomie」―『ケアとは何か』のよりよき理解のために

2024-09-27 07:23:20 | 講義の余白から

 一昨日の演習で提示した第二の「補助線」は、自立と自律の区別及び自律と依存との関係という論点である。
 『ケアとは何か』第二章「〈小さな願い〉と落ち着ける場所――「その人らしさ」をつくるケア」には、「自律」と「自立」が違った節で別々に取り上げられている。
 「3 文化的願い」では、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ『「ユマニチュード」という革命』(誠文堂新光社、2016年)から、四肢が麻痺していて自分の手でリモコンを扱えない人が看護師の助けを借りて自分で見たい番組を選択するという例を引いた後で、村上靖彦氏はこう述べている。

願いを聴き取り、叶えるケアが、ここでは自律と結びつけられている。自律とは、一人で生活できることではなく、自分自身の願いを具体化できることなのだ。

 だが、これだけでは十分に「自律」の意味を引き出したことにはならない。英語の autonomy もフランス語の autonomie もギリシア語の autonomos に由来し、autos は「自分自身に」、nomos は「法律、規則」である。つまり、「自律」とは、自ら自分の行動規則を定め、それに従って行動することである。したがって、上掲の例のように、四肢が麻痺した人が看護師さんにリモコン操作をしてもらって自分の見たい番組を選択することも、それがその人自身が定めたルールであり、それを実行したのであるならば、「自律」と言うことができる。この例を一般化すれば、「自律は介助を内包しうる」となる。
 同章の「5 チームワークで願いを叶える」には、「自立とは何か」と題された節があり、脳性麻痺の当事者であり、小児科医であり、当事者研究の推進者としても活躍している熊谷晋一郎氏の言葉が引かれている。

「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちです。でもそうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべての人に普遍的なことだと、私は思います。

 これを英語やフランス語に訳す場合、「自立」を independence, indépendance と訳すことには無理があり、「自律」に相当する語 autonomy, autonomie を当てることになるだろう。なぜなら、前者は「依存 dependance, dépendance」の対義語であるのに対して、後者は、上に見たように、「依存」と相互排他的な関係にはなく、それを内包しうるからである。
 誰にも依存しない「自立」が虚構あるいは幻想に過ぎず、すべての人は相互依存的であるとする議論よりも、依存を内包した自律のあり方のさまざまな可能性を具体的に模索・検討・現実化するための議論のほうが生産的であろう。
 この点に関して、ロールズの正義論批判においては論点を共有しながら、依存論に関してはエヴァ・フェダー・キテイと一線を画すマーサ・ヌスバウムの議論が参考になる(« The future of feminist liberalism », in E. Feder et E. F. Kittay (dir.), The Subject of Care. Feminist Perspectives on Dependency, Lanham, Rowman & Littlefield, 2003, p. 186-214)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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