●与次兵衛ヶ瀬碑
下関ポートウオークに豊臣秀吉
にまつわる石碑も立っていました。
名護屋に出陣していた豊臣秀吉は、大政所危篤の報に急ぎ、戻る途中関門海峡で、潮に流され「死の瀬」と呼ばれていた岩礁に座礁してしまいます。
長府毛利初代藩主・毛利秀元に助け上げれますが、秀吉の船の船頭は明石与次兵衛は、責任をとって切腹しました。その後、死の瀬は「与次兵衛ヶ瀬」と呼ばれる様になったと言う
29.下関の郵便ポスト
速達便ではない 水色です。
下関のメインキャラクター せきまるくんが乗っていました。
● 下関のマンホール
やはりふぐでした
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます