こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

坂本龍一  フランス映画「Tokyo Melody」 '85年6月日本上映

2009-09-12 02:48:27 | 音楽帳


1985年4月から、自分は「素浪人」となった。
ここから、1987年3月までの期間の自分を、僕はしょちゅう、しつこく、執拗に、振り返っている。
それだけ、時代の波間に漂う苦しいエア・ポケットに入ったかのような状況だったのだろう。

大学に行かないといけないという「しきたり」はありながらも、自分にはそういう気が起きないながらも、「じゃあ、逸脱して、どこへ行くんだい?」という自問自答の悩みの中、逃げ場も無く、宙ぶらりんの精神状態で居たのだったから。

1985年4月に、坂本龍一&トーマス・ドルビーの「フィールド・ワーク」を御茶ノ水で買い、それを聴きながら、今で言えば、いわば「ニート」のような宙に浮いた新しい心身の状態に入り、御茶ノ水-神保町-水道橋当たりを、人ゴミに紛れて、とにかく悶々と歩いていた記憶が強い。

中学3年生に「発芽」した心身不調=ノイローゼ・鬱・精神分裂病への傾きは、1987年の「自殺未遂」と「自己崩壊」を迎えるまで、なだらかに続いていた。

***

そんな折。
1985年6月某日-<過去のメモ帳が出てこないので、日付は不明>



たった1日だけ、坂本龍一のドキュメント映画「TOKYO MERODY」というものが渋谷のNHKホール(? もしくは、その近く)で上演されるのを知って、キップを予約して買い、慣れない渋谷と言う街におどおどしながら、それ用に買った新品のクツと白いチノパンとジャケットを着て、蒼白い顔をしてふらふらしながら、キップを握り締め見に行った。

その日には、ジャケットは少し暑かったが、脱ぐ余裕無く歩いていた記憶がある。

当時、「超」資本主義に向かい、世界の中心たる最先端都市「TOKYO」のカオスと、古い日本の匂いを残した「東京」の入り混じる、1984年5月の「トウキョウ」のまさに、その時代空間の断面を切り取った、記録的要素も持つ、映画だった。

***

1984年5月の東京・日本での坂本龍一。
それは、まさに「音楽図鑑」が、アルバムとしての録音の後期の段階に入った頃のこと。



先に述べたように、長期に渡る長時間のスタジオ・ワークを費やしても、曲やその断片ばかりが、まとまらない状態で散乱し続ける悩みを抱えながらも、日々、そのほとんどを、この「・・・・?」何というタイトルになるかも、どういう形に筆を下ろすかも、皆目検討のつかぬ中、スタジオ・ワークを続けていた。
中には、ボツになった曲(曲名不明)を大層な時間をかけて、深夜までかけて創る教授の姿も映る。

<1981年4月~始まった「坂本龍一のサウンドストリート」を毎週聴きながら(=高野寛いわく「僕は教授から毎週通信教育講座」をラジオを通して学習していた)、教授の様々な側面は見てきたが、坂本龍一の実際の本当の日常を「映像」として切り取ったものは、これが初めての記録映画だった。>

***

スタジオでの風景、悩みながら譜面を書いたり、何度も演奏をくり返し、ああでもないこうでもない・・・そういう苛立ち。

そんな中に、スタジオ以外の様々なシーンが挟み込まれる。



街に佇む。
森をめぐり、カメラのシャッターを切る。
東京タワーに登り、手形占いをし、左手で自分の名前をその紙にサインする。
街をクルマで移動し、電話をする・・・・・。

自宅で、矢野顕子と2人でピアノで「東風」を弾く。

そして・・・・あたかも遠し過去のYMOを振り返るようなシーン。
(といっても、YMOが「散会」したのは、1983年12月末なのに)

1984年2月まで撮影が行われた「アフター・サーヴィス」期間に制作された映画「プロパガンダ」が、新宿ALTAのオーロラ・ビジョンに映る中、教授は遠い目をする。
<それは、この1980年代の時代速度がいかに速かったかの証明でもあるのだが>

ニッセイのCM(曲は「君について」)。
1982年の「戦場のメリークリスマス」のシーン。
時計のALBAの広告(教授と外人女性のポスター)。

そして、教授のインタビューと語り。

その一方で、原宿のタケノコ族の踊り・縁日の金魚・祭りの神輿や太鼓・秋葉原の電気街・渋谷の街の俯瞰・地下鉄銀座線のホーム・通勤ラッシュの雑多な人々に切符切りの駅員・郊外の団地・高速・・・・・など東京のシーンが入り混じる。

***

最後、スタジオで、「セルフ・ポートレイト」を弾くシーンと、東京の街の風景・人々が入り混じるカタチで終わる。(その弾く背中姿が、なぜだかすごくいとおしく切ない・・・。)

当日、売店で買った「TOKYO MELODY」のパンフレットを、僕は、今でも大事に保存しているが、その中で、当時サブカルチャーの旗手だった中森明夫が文章を寄せている。

そのタイトルが「坂本龍一になりたい」というものだった。
自分は、深く、このコトバにうなづいた記憶がある。

***

ちなみに「TOKYO MELODY」は、後に、JANISでVHSヴィデオで購入することが出来たが、今はDVDでも出ているとのことである。


■■■「TOKYO MELODY」

・上演時間 63分
・プロデューサー: ジャン・ロジェ・サンネ
・監督: エリザベス・レナード
・制作: フランス国営放送(ヴィジュアル・インスティチュート)
・ヴィデオ制作: ヨロシタミュージック
コメント (2)
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