こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

David Sylvian   「Let the happiness in」'87

2009-09-25 01:28:58 | 音楽帳


まみちゃんとの4泊5日の合宿を終え、実家のお袋さんにまみちゃんをしっかりと預け渡し終え、まみちゃんに「お疲れしたぁ」と挨拶し終えた翌日の、社会復帰の今日・・・・・・・

不安は、的中してしまった。
不安通り地獄が大きな口を開けて待っていた。

***

・・・・・23:00仕事は終わらないが、帰ることにする。とぼとぼと帰る。

一体、「シルバー・ウィーク」なんて、誰が考えたものなのだろう?
とてつもない損害が、この休みのお蔭で降りかかっているヒトが多いことだろうに。
ラジオでも、この5連休のお蔭で地獄を見た人々の意見をたくさん聞いた。

そのたびに不安は募っていったが、そもそも9月の5連休など視野に入っていなかったのが、馬鹿だった。

多くの企業が、上期決算を向かえる「繁忙期」と我々が呼ぶ9月、そこに5日連続の穴を開ける事による障害は、〈今年が初めてであったが〉不安な予感はあったが、さすがにここまでのシナリオは読み切れなかった。

***

ただでさえ、「超~不況」の下方傾向にある市況の中、私らのようなメーカー系は、ヒト(人員)もモノ(在庫)もかなり絞り込んでいたし、繁忙期/閑散期の波動に弱い。
その「バッファ」の上下動する幅もいやおう無く限界値がある。

そんな中、まさに「寝耳に水」である。
5日分の大波がドアの向こうに待ち構えていたとは・・・・(>_<)。
とんでもない高波(オーダー)が、今日という日に一気に押し寄せたのだ。

9月真ん中までは、あいも変わらずの沈滞ムードだったので、このまま9月は終わってゆくものだと思っていた。その最後くらいは小波程度は来るだろうが、その程度の「バッファ」には耐え得ると思い込んでいたのが、全くの逆だった。

だからといって諦めて水没死している訳にはいかない。
なぜなら、ただでさえモノが売れない時期に、大波をさばいて1円でも多くのモノをお届けしなければ、業者もろとも共死にである。

しかし、とはいえ、「備え」無しで向かえた大波。

結果、そこいら中ほころびが出てしまい、「前線」の営業のみんなに迷惑を掛け、お詫びするしかない状況になった。
正直、自分の能力の無さに悔しい思いをした1日だった。

・・・多分、10月になれば、波はさあっと引いて行くだろう。
そして、相変わらずの沈滞ムードに戻ってゆくのだろう。

***

自分の責任の言い訳も逃げ場も無いが、0:00帰宅して、少々落ち込みながら、おにぎりをほおばり、ビールを飲み、今夜の1曲を選んだ。


【12インチシングル「Let the happiness in」=「しあわせを招きいれよう」】

「ザ・シークレッツ・オブ・ビーハイブ」の中に入っている好きな曲である。

しかし、私は、David Sylvianについて、3枚目のオリジナル・アルバム「ザ・シークレッツ・オブ・ビーハイブ」が、彼の最高傑作という人に、たまにNet上で出会うが・・・(個人的な好き嫌いの感覚ではなく)・・・こういう人は、一体彼の音楽のどこを聴いてそう言うのかが、自分には理解が出来ないのだ。

ソロになっていきなり他には比較するものが無い音楽世界を創りだしてしまった1枚目の「ブリリアント・トゥリーズ」、ロバート・フリップの良さをうまく引き出し融合した企画盤「錬金術」、アンビエントとヴォーカルが同居した2枚目のオリジナル・アルバム「ゴーン・トゥ・アース」(2枚組)までは、すんなりと、自分にはフィットしたし、理解も出来た。
自分の死(命)をかけたかのように、自分独自の世界を切り開き、深い静謐の世界に没入していく様は、あっちの世界(死)への最大限の接近を試みることの出来る、選ばれしアーチストにしか出来ない芸当であった。

しかし、そこから、3枚目の「ザ・シークレッツ・オブ・ビーハイブ」へ飛ぶ流れが、自分は時間軸として繋がらないのである。
むしろ部分的に「退化」しているように思えるし、アルバムの隙間に散漫さが目立つ。

シングルにもなったこの「Let the happiness in」は、さすがDavid Sylvianと思うし、「9月」や「オルフェウス」や「マリア」も名曲と思うが。
アルバム全体となると、どうもしっくりこない。

「ザ・シークレッツ・オブ・ビーハイブ」が最高傑作という感覚が、'87年の発売から’09年の今に至るまで、自分には純粋に理解が出来ないで居るのである。
コメント (5)
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