Riverさん、気にしていただいてありがとうございます。
実は、自分の愛するパソコンの方も調子が悪くて、更新できずに居たのです。
再入院したまみちゃんは、点滴を打ちながら、また自由なき「檻」の中に入れられてしまいました。
お袋さんとは、電話で話しました。
「かかった舟だから、最後まで面倒を見るつもりだよ」と、それでも多少疲弊した声で、79歳の母は言いました。
兄は、お袋さん経由ですが「カネの事は心配すんな」と言ったそうです。
昨夜、仕事も相変わらず遅かったので、夜間に動物病院に電話してあんばいを聞いたところ、食事もしていて、自分でトイレもしているとのことでした。
(それも、点滴のお陰あっての事でしょうが。)
但し、もっと細かい話を聴きたければ、担当の先生から、明日電話させますとのこと。
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今日、13:00に担当の先生からケイタイに電話アリ。
午後からの打ち合わせ用の資料をコピーしながら、話をしました。
食事・点滴もして、今は安定しているが、歯を抜くのに体力を蓄える必要があり、麻酔に耐えうるかの判断もあり、「かつ」歯を抜くと白血病の為に「血が止まりにくい」ので「輸血」をしないといけなくて、更に、その血も「拒絶反応」が絶対起きない訳でも無く、それらを総合的に判断して、歯を抜くと言う事でした。
それを聴いた上で、僕は言いました。
かたちんば「先生。仮定でしょうが、もし、それが越えられたとして、それで・・・まみちゃんは、あと、ぶっちゃけ、どこまで生きられるんですか?
はっきり教えてください。」
先生「白血病・エイズを別としても、内臓がかなり弱っているのは事実で、それはやはり良くなるということは無いです。
次第に弱っていくのは事実です。
あとは、通うのも大変でしょうから、薬と注射を出すので、それを容態を見ながら、家で注射をしてもらう。
そういうこと(=暫定的な延命措置)しか残っていません。」
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正直、もう覚悟は決めています。
いずれ、まみちゃんはあの世に行くんでしょう。
それは、はっきりいって、2010年の元旦を向かえるには至らないと思います。
果たして、こんなにも、色んな事を、まみちゃんに押し付けて<本人の意志さえ確認出来ぬまま行って>延命をするのが・・・僕は一体、どれだけ家族のお金と苦労を巻き込んで、自分のカラダでかくまうように1匹のネコの命をかばって・・・
これが良いことなのか?果たして悪いことなのか?
正直、もう自分で自分がわからない状態になっています。
それは、ひょっとすると真の味方が居ないからかもしれません。
お袋さんが一番今までまみちゃんの世話をしてきたのは事実ですが、本音は、声に出して言わないけれども「自分が36にして産んだ、もう43(のオヤジの独身)息子が大事に思っているネコだから、その意図を汲んであげよう・・・」という事かもしれません。
また、兄は、鬼畜親父の元、唯一の自分の弟が言い出した事だから、納得させるまで、そうさせてやろうという「父親代わり」の役目を、幼少から背負ってきたまま、そうしている。
なにか、そう僕が思っているからであり、たぶん、そうでしょう。
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僕は、今まで、鬼畜親父が居るが為に、親父が(を)気に入らなかったネコを、よその家に引き取ってもらった悲しい想い出。
ネコには大事なヒゲを切られて、顔を黒く塗って笑っていた鬼畜親父にも、きょとんとしていたネコが、僕に「ニャー」と鳴いたシーンの想い出。
まみちゃんの母ネコのコチャコが、2回目に産んだ4匹のネコをちゃんと動けるまで育てた上で、「捨てに行け」と言われて、袋に入れて、雨の日に、大学生だったというのに、反抗/反論も出来ず、泣きながら歩きさまよった挙げ句、自分の判断で、たどり着いた幼稚園の門の前に「ここまで育てましたが、これ以上育てられなくなりました。どうか、可愛がってあげてください。」と書いた紙と、ぬれないようにタオルを上にかぶせて、置き去りにした想い出。
これ以外にも、幼少の頃から、ネコが大好きで仕方が無かった自分が、受けた(誘導された)かずかずの仕打ちは、実は初めてここに告白するものです。
そして、忘れようと・忘れようと、ココロの奥にしまってきたものです。
僕は、たぶん、それら愛するネコたちの命を粗末にしてきた事への最後のお詫びとして、その気持ちをまみちゃんに託しているのかもしれません。
「今度は、絶対に最後まで看取ってあげよう」
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たぶん、まみちゃんがもし死んだとしても、僕は泣かないと思います。
「ごくろうさま。ようくがんばったね。」
と言うつもりです。
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僕は、1985年4月から自己崩壊する1987年までの素浪人時代を、濃厚に振りかえろうとしていますが、実は、とっておきの「名曲」があったのですが、まみちゃんへの子守唄として、この曲を、今晩はプレゼントとして「先出し」しようと思います。
「スミス」のモリッシーが詞を、ジョニー・マーが曲を、という当時の名コンビが創り出した優しい唄、「PLEASE,PLEASE,PLEASE,LET ME GET WHAT I WANT」という曲。
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2:30程度のこの短い曲を、1986年にドリーム・アカデミーが、カバーしているヴァージョン。
12インチシングルにだけ、収録された「隠れた名曲」。
「いつも失敗ばかりしてきたけれども、”どうか”、今度こそ、僕の祈りがかないますように・・・。」といった美しい、そして、モリッシーらしい詞(英語が苦手ですみません)と、それに合った美しくゆったりとしたハーモニー。
<実は、僕は、スミスの原曲より、このドリーム・アカデミーのカバーの方が好きです。>
一時、幸宏がたどり着いた「NEXT TIME」「NEXT LIFE」という概念、つまり、「来世」というもの、輪廻転生というもの・・・それを、僕は、この曲にも感じます。
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23:45に帰宅してから、書き連ねてきたこの文章を、ここで終えようと思います。
まみちゃんとたくさんの仲間たちのネコの子守唄として、今夜は、この曲を贈りたい、そんな気持ちです。
今夜も、やすらかに、眠りについてください。
【原詞】
Good times for a change
See, the luck Ive had
Can make a good man
Turn bad
So please please please
Let me, let me, let me
Let me get what I want
This time
Havent had a dream in a long time
See, the life Ive had
Can make a good man bad
So for once in my life
Let me get what I want
Lord knows, it would be the first time
Lord knows, it would be the first time ・・・・・・