こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年4月18日 金曜日 くらしの風景 ~Round About Midnight~

2014-04-19 00:41:34 | 雑記帳

「過去あった日々の躁鬱の波とはもう無縁」と、ツッパリ・いきがってきたが、その言い方は真実ではなく、やはり「小波」はあるものだ。
「大きなヤマを越え・谷を越え、ということは少なくなった」だけのことだが、
それ自体が有り難いことであり・幸福かもしれない、と思えることが、最近・時々ある。
そんな最近は、良い波間のバランスにあるのかもしれない。

昨日・今日有った出来事。
些細だけれども、一握りの大事な幸福。

***

仕事にも、社会的に所属する企業にも、なんら価値を見いだしていなかった2013年が3月末に終わった。
されども、日本政府が政策決定した消費税率引き上げに伴う「駆け込み需要」は、自分の仕事への影響度はとても強く、混乱を超えてパニック状況のまま、3月末では終わらなかった。
今も尾の引きずったことへの終戦処理は続いている。

思えば、2013年10月1日、安倍首相の消費税率引き上げ発表する画面をリアルタイムで見たのは、兄と一緒に、入院する大事なお袋さんの横に座っていたシーンの中だった。
あれから半年が経った。

何とかミクスとやらで景気が良くなった、と一部で言われていることに自分は真っ赤なウソと違和感を抱きながら、日々働いてきて、挙げ句は3月物流網混乱も含めたパンク状態に多くの人と共に巻き込まれた。

状況的には良くはない。
はずだった。

***

4月に入り、世間様同様、人事異動のヤマと、新人社会人のヤマが作り出す、カオティックで不快な空気のなか、目をそらして、花とネコと下町の街並みばかりを見つめるようにしてきた。
それは、ひねくれた自分の性格だったり、他人への嫉妬・怨念が作り出した妄念から見える視界によるもの。

自分は所属する「企業」にも「制度」「体制」にも不満を表明し、ひたすら背中を向けていた。
無二の友MZさんに言わせれば「世の中は不条理のヤマだから、正義などはない」。
「まあ、四十代になってまで、そんな子供だましのヤボな希望などは抱いていないよ。」と、いつも返す。

しかし。。。
かつて、公私共に苦楽を共にした、先輩お二人が三回目の上司となって戻って来た。
モノの見方・観点の豊富さを教えてもらったり、「これ読むとイイよ」と「本当のこと」が書いてある書籍を教えてもらったり。。。
今、出来損ないの自分でも、生きていけるすべを教えてくれた2人。

***

「何よりも、自分と家族のことが優先。仕事は三番目じゃないとダメだよ。」
先週、久々に外で、片方のKさんとビールを呑んだ。
シャイで優しいけれども・芯が通った、大好きなKさん。

話しながら、そう言われて何だか心がとても安堵した。
「そうなんだ。この人は、自分にとってのセラピストなんだな。」と気付いた。
フレームを描いて、自分の立ち位置を認識させてくれる人。

自分なんか必要とされてはいない、と思ってきたし、たいていの他者はいい加減なことやおべんちゃらしか言わない「平気でウソをつく人」。
そう思ってきたけれども、「(公私共に、キミがココに)居てくれることは有り難いですよ。」と言われて、意外だったりもして困惑した。
最近、こういうことを言ってくれるヒトが居て、単純に「生きていて良かったな」という瞬間が多くあった。

***

「不夜城」と揶揄され馬鹿にされる、自分の所属するセクション。
プロレスラーでもあるまいし、仕事を体力勝負としてしまったら、そこには絶望しか無い。
しかし、それは長たる人によってガラリと姿を変える。

昨年、あそこはブラック企業だのホワイト企業だの・・・相変わらず乱暴な物言いをするヤカラが居たが、黒も白もない。
あるのはそれぞれの「在り方」であって、そこには人同志の運命だったり・偶然だったりするものが作用している方が濃厚と、私は考えている。

しかし、一方では、システムとITにだけ振り回されて、あやつり人形となって、ひたすら巻き込まれていくのなら、ボクらは生きている価値をそこに見いだすことは出来ない。。
ただ馬車馬のように走らされて死んでいくのは、ゴメンである。そこは確かにそう思う。

ただ、だからこそ、そこに人がいて・人の智慧というものがあるのだ。
と、今夜の私は考える。

***

手塚治虫の「鉄腕アトム」に憧れたみうらじゅんさんらの世代、そして、YMO・クラフトワーク・プラスチックスetcの描いた、ピコピコするテクノポップに、空が広く・未来が見えた少年時代を過ごした自分らの世代。
そんな未来は、既に来てしまい、そして、通り越した。未来と言われた場所が、実は地獄だった、という明らかな事実に気付いてしまった現代。

そんな中、先輩お二人が体力でも拘束時間でもなく、らくーに穏やかに状況を見ながら、全体を微調整しつつ、上手にマッピングして・組織を「死」から「生」とするために整えていくさまを久々に見て、目の覚める思いがした。

***

肝臓を壊して以来、この4年近く、心身ともに傷んでいたのもあり、外で呑むことを避け、形式的な会合にも一切出席しなかった自分。
そんな自分が久々に、昨日のささやかな歓迎会には自らの意志で参加し、よく呑み、よく語り、夜明けまでを過ごした。
倒れるように眠り、二日酔いのまま、一日を仕事場で過ごした。

他者たちとフリーな関係のなかで手を結びたい、という想いは果たされないと思っていた。
不思議な和・輪は、いくら「絆」というウソのプロパガンダを強要しても、それぞれの中からは産まれない。
それが今、自分の内発的な奥底から「ここ」に湧き上がってきている。

ありえなかった心情が産まれている自分。
そういう空気を「体力・気力」ではなく作り出す能力のある人。そんな人とまた過ごしながら、いろんな話をしたいと思っている。

PS:実は、そうは思っても、いろいろある。
毎年恒例のことだが、年度がわりのこの時期は、とんでもない過密スケジュールの中、予算分解やら、会議やら、その資料作りやら・・・。
このゴールデンウィークも悪魔の季節として、恐れをなす日々だが。

二日酔いでフラフラしたグロッキー状態のまま、早く横になって眠りたい限界の22時を超えて、時間とガソリン切れ。
昔と同じように、Kさんと傘をさして、お話しをしながら、2人並んで駅までの寒い夜の道を歩く。
お互い、この数年でずいぶんと白髪が増えたな、と思う。(私は頭の毛は無いが、ヒゲに白髪が進出激しくなりました。)
思えば、先輩2人は、兄とほぼ同い年。私は実兄とは違う、幻の兄の像を2人の背中に感じているのかもしれない、と思った。

すべてが良いことなんかは無いけれども、何らかのきっかけで、このブログという交差点で出会う、視えない仲間の方々の身にも、少しだけでも幸福だったり、安堵があることを祈ってやまない夜。
人生、悪いことばかりじゃない。
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