こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年12月9日 火曜日 冬支度

2014-12-09 22:31:02 | 音楽帳

■師走のお買いもの■
この休みに街を歩く中、暗がりに灯るお店に吸い込まれる。

一つには来るべき冬の対策。閑散として人が少ないお店。
店内をぶらぶら見て回る中で、割引セール中という誘いもあり、あったかくつ下・黒のヒートテック肌着・スパッツを買う。

買い終わってお店を出ると、今度はお向かいのお店に寄ってみるか。。。
などと「見るだけ」入ったつもりは、一時間後、たんまりの荷物で外に出ることになった。

CD・本類などを除けば、ふだんほとんどモノを買わない自分。
資本主義の敵=商売人・消費者・この”クニ”の敵というのに。
それも師走の街の雰囲気に揺られたことがなすワザか?どうかは分からない。

袋の中には、画材(アクリルえのぐ・筆・丸型定規・ノリ)、それにA6サイズの日記帳兼スクラップ帳兼ミニノートといった風のもの、などなど。。。
別に無駄な浪費をした明細じゃないので良いはずなのだが、貧乏症なもので、少し多めの品目を一日で手にすると、気分はすぐ飽和状態になる。

■日記帳、スクラップ帳、そして何だかわからない帳へ■
この2年は、チラシの裏が白い紙をメモ用として、日記帳代わりにしている。

日記的なメモは数十年続けてきたが、よく年末年始に新しい年の新しい色とりどりの日記帳コーナーに胸躍らされ、買ってしまう人は多いだろう。
それをそのまま丹念に使い込めるマメな信念の持ち主なら、それで良いだろう。

しかし、私の場合、そんな売り場での胸躍る気持ちなど、すぐに覚めてしまう。
そうして正月気分のうちにも日記帳に書くことに行き詰まり、浮気してほかのモノに手を伸ばしたりしてしまう。元旦にていねいに書き込まれた文字は早々に型崩れし、次第に省略されて、はしおるようになる。

そんな自分の資質を分かってしまった”元・文房具マニア”は小中学生時代を経て、高校生以降は日記帳なるものは買わなくなる。
『ランダムノート』と位置付けた帳面を相手に、走り書きメモ・イラスト・いたずら描き・領収書・きっぷ・広告の切れ端・スクラップ等々。。。
ごった煮のような帳面が何冊も重なっていく。

まだ帳面で済めば良いのだが、「一冊を最後まで使わねばならない」というプレッシャーから、時期によっては、一枚一枚分解できる罫線入り用紙を使っていた。
そのばらんばらんの状態をまとめたこともあるし、あるときにはそのまま、どれが前後関係にあるのか?整理付かないまんま、結果袋に突っ込んで終わり、という時期のものもある。

他人が見たらただのゴミの山以上のものではない。

そうしてたどり着いたこの2年の裏紙メモ。
書いたものをA4のファイルに入れて綴じている。
かたやそのへんのゴミを貼り付けたスクラップも存在するのだが、どうも最近、そのどちらにもリアリティを感じない。

そろそろうずいているのが、両方を区分することもなくミックスしたい、それに周囲のものをひたすら貼ることにも疲れた。
散乱する紙類をほとんどを一回捨ててしまわねば、水の底は見えない、そんな感じがある。
ゴミ屋敷掃除をしたい。それも年末が来てしまう、もう師走上旬が終わってしまう。そんな焦りも確かにある。
まあ、それだけではないのだが、話すと余計にムダに長くなるのでやめる。



■吉田美奈子 「頬に夜の灯」1982■
いつか語ったはずのこの曲。
冬の夜の街を色とりどりの電飾がかざる中歩いていると、この曲が脳に浮かんでくる。
FM東京の深夜3時「マイ・サウンド・グラフィティ」で出会った『ライトゥン・アップ』。エアチェックしたこのカセットテープを毎夜聴いていた少年の記憶を、どうしても忘れられないのだ。
A面始まりのタイトル曲「ライトゥン・アップ」。アップテンポのシティポップスのあと、2曲目として続く「頬に夜の灯」。
ゆるやかに始まり、酔うようにたゆたう美奈子さんの歌・メロディ・歌詞に眼を輝かせ、いくたびも心を温めてもらった想い出の一曲。

夜な夜な聴いていたラジオ日本・大貫憲章さん&今泉恵子さんのエンディングテーマ曲だった「夢で逢えたら」。この大瀧詠一さん作曲の吉田美奈子さんの歌も素敵だが、自分が想い入れ強いのは、この「頬に夜の灯」。

1980年カセットテープ・マクセルのキャンペーン・チラシに並んだ3人。
吉田美奈子・ラジ・大貫妙子のモノクロームの写真。
この3人の音楽は”はやりもの”ではないので、未だに色あせることを知らない。

セックスも女も好きだが、冬のイルミネーションもクリスマスも、セックスへ導くツール(道具)・目的のモノだけでは決して”無い”。
この愛する一曲を、この季節のお歳暮の替わりとして、愛する人や生き物たちに贈りたい。









『灯ともし頃ならば 街もはなやいで
急ぐ足を止める 夜に飾られて

すれちがう人色とりどり 輝く灯に頬を染めたら
一番好きなあなたの為 わずかだけど愛をおくろう

灯ともし頃なら  少しはにかんだ
うつむきかげんでも恋はかなうはず

弧を描く 星達のまたたきが終わらぬうちに

時をそのまま止められたらなんて素敵
あなたの為に 恋をかなえる夜の街に頬を染めて 愛をおくろう』(吉田美奈子 「頬に夜の灯」)
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2014年12月7日 日曜日 愛しきものたち

2014-12-07 22:12:11 | 音楽帳

ここ数年、下劣なメディア類には出来るだけ接しないよう心掛けているが、小室さんが”教授は元気です”と言った、というネット記事には反応してしまった。交流がある人を伝って、無事の連絡を知る。

教授の件を知った今年とある日の、気が遠くなったあのときのあと、自分にできることはないものか?
と思ったが、精神的パニックがある程度去ると”解決策は近くの周囲がすることである”と思うに至った。
自分はひたすら彼の音楽と、彼から浴び、数十年経っても去らない精神的放射能という影響を幸福に思い、それを相棒にたずさえて生き抜いていく。

当然”ただ行き抜くこと”が目的ではない。

■デヴィッド・シルヴィアン&坂本龍一 「バンブー・ミュージック」1982秋■

デヴィッド・シルヴィアン:キーボード、キーボード・プログラミング、ヴォーカル
坂本龍一:キーボード、キーボード・プログラミング、mc4、マリンバ、ヴォーカル
スティーヴ・ジャンスン:パーカッション、エレクトロニック・パーカッション、キーボード

プロデュース:デヴィッド・シルヴィアン、坂本龍一、スティーヴ・ナーイ
ミックス:デヴィッド・シルヴィアン、スティーヴ・ナーイ
エンジニア:スティーヴ・ナーイ

スリーヴデザイン&レイアウト:デヴィッド・シルヴィアン







「僕が大好きだった建物たち
もうほとんど残っていない

小さくて やせ細った 子供たちが歌っている
竹の歌が聞こえる

それでも、人々の生活は続いている」(バンブー・ハウス)
































”お前らてきとーにふざけてろ、こっちは死ぬまであらがうぜ”という大竹伸朗さんの圧度が欲しいところだが。。。とあきらめるのは早い。
過去も現代も、有名無名関わらず、敬意抱く心優しいアナーキストたちの生き様に想いをはせれば、まだまだ進める。

高校2年秋に聴いていたバンブー・ミュージック/バンブー・ハウスィズのシングルも、未だ体内にガソリンを注ぐ一つ。
トンがった教授のポートレイト写真を、脳は昨日今日のことにしか感じない。

YOUTUBEにアップされているこの動画が、テレビ埼玉のサウンドスーパーシティであることにグッとくる。
1981年無理矢理引き裂かれるようにして去った生地・三ノ輪と移転地・草加。

去ってから見も知らぬ地でさみしい想いをする中、良かったことの一つが、このテレビ埼玉の夕方の番組を見られることだった。実物の大貫憲章さんを映像で初めて見たのもこの番組だった。

まだMTVと大騒ぎする前夜、地上波では見られない映像・聴いたことの無い最新ブリティッシュミュージックを見られる唯一の番組だった。

こんなガソリンを注いでもらいつつ、ひたすら前に進む。
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2014年12月4日 木曜日 愛しきものたち

2014-12-04 23:53:11 | 音楽帳

昨夜。
パスタをゆでる。ほうれん草・にんにく・ぴーまんと炒め、たまご・生クリームで作ったソースをからめて食す。
冷える夜。万年床を引き直し、早々横になるけど、まだ満ち足りなくて、ねどこであんぱんを食べる。
甘いものを欲するのは、危険のサイン。ふだんはまず無い行動。しかし、旨い。

普段はより長く、睡眠を削ってでも今を謳歌するため。ラジオ・本・音楽・映画鑑賞を深夜までする。
昨夜はそれがつのって、たまむすびを暗闇で聴いているうち、心地良くなって、0時前に眠りに入った。最近まず無いこと。

ひさしぶりに長く寝る。
明け方起きる。グレープフルーツジュースを2杯飲み、再び眠る。

定時にアラームが鳴り、起きる。最近はしんどいばかりの朝だが、今朝はちゃんと目覚めた。
ラジオは、今日は寒いですねえ、と言うが、そのように感じない。
寝酒と思いつつ寝酒になっていない酒が、夜明けのフルーツで抜けていたせいなのか?否か?は不明。

朝のごちそうである深い緑茶、それにあったかい朝風呂の幸福。
それが勢いをつける。着替えて外に出ると確かに灰色の空。だけども大して寒くない。それは、風が吹いていないせいかもしれない。
都心に向けた道を歩く中で聴くU2が、空気を切り裂くせいかもしれない。

電車に乗り換えようとすると、ガラスが曇り、中は湿気だらけでもわっとした室(むろ)。
まだ冬でもないのに、厚着族でねちょねちょしている。
そんなときは、写真入りの本の世界に入り込む。荷風先生が日和下駄で歩くさなか、スケッチした自筆の好きな素描がとても優しい。

地下から外に出ると、汚れ世界を離れて川へ向かう。
今朝もうみねこたちが並んでいる。みなもには、カモたちが泳いでいる。

都内ではたらいて、雨の中地方都市に向かい、暗闇になった田舎から島に戻る。
手がかじかむのは田舎ゆえのことだ、と思っていたが、島も大して温度が変わらない。

朝7℃、昼には13℃まで上がったが、夜8℃まで下がった。そんな今日。
島の道。さほどの雨ではないけど、散るもみじの紅い葉っぱを見る。今週末は、紅葉を見に歩き倒そうと思っている。と言っても出たとこ勝負で、何も決めていない。

帰ってお湯を沸かす。梅入りお湯割りを作って呑み、あったまる。

モンスーン 「Tomorrow Never Knows」1983(ビートルズのカバー)
ギター:ビル・ネルソン



ダニエル・ダックスのカバーも良いけれど、やっぱり酒もロクに呑めぬのに、酔ったリアルタイムのモンスーン。
想い入れ過多。

いとおしき1983年、胃かいようで入院していたピロリの秋。
病床の窓からの灰色の凍てつく空。未だ愛してる。
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2014年12月2日 火曜日 No Line On The Horizon

2014-12-02 23:27:13 | 音楽帳

朝日のなか、うみねこたちが一団になってひなたぼっこ。
うれしそうに。ときたまはばたいたり何かを話している。
鳩たちは場所を追いやられてしまって困ったご様子。

こないだはカモさんたちが、ネッシーみたいに、みなもにスジを付けながら一団で泳ぎ移動するのを見た。

世捨て人なる言葉があるが。
どこまでも・瀬戸際までも・努力奮闘しても・交われないならば---”代わる「世」があるならば”だが---そんな世なんか捨ててしまえばいい。

意外な視界内死角に、意外なる落とし物・掘り出し物があることに気付くだろう。徹底的なネガティブの果てに、ほのあかりが浮上すれば、それこそ、だ。

つまるところ”にんげん”は徹底的に孤独だ。
”私”は、本質的に誰にも救われることは無い。
”私”のあるじは”私”であり、”私”がどうしようと”私”をのがれることは無い。

孤独であり、放置された存在である。放置は疎外とも自由ともとれる。
”にんげん”は、その孤独をまぎらわすために、他人にコビを売ったり・チカラで他人を屈せさせたり、ああだのこうだのする。
たいていそんな連中は、悪しきグルとなり、そこに巻き込まれ、その関係性に互いに絡めとられていく。

そのいっぽう、同じ方向性を持った人と出会う。その距離感を保てばいい。
お互い縛り合いだしたら、そこを離れればいい。連合赤軍やオウム事件にならないように。

村八分なる言葉があるが。
”村”から追放されたって、その”村”は絶対ではない。
ほかのもっとよい”村”や森に向かえばいい。ブレーメンの音楽隊のように、あるいはイエスの方舟のように。

かならず、それに値する”なかま”は此の世にいて、なかまとの”村”が空中にできる。今すぐに。
どこか遠いところに、ではない。今・すぐ・ここで・だ。(インターネットのコトじゃない)

社会からはみえない点と線をつなぎ、”私”は複数の場所で”なかま”との関係をもっている。
日昼、つねに悪態をついている私ですらココに辿りついたのだから、みなさんはもっと社会外に、すてきな関係を結んでいることだろう。

社会の喰いものにならないように。
クソみたいなプロパガンダやシナリオにだまされないように。

■U2 「Magnificent」2009■
詞:ボノ&ジ・エッジ
曲:U2、ブライアン・イーノ&ダニエル・ラノア




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