22 弦楽器製作の正と誤
弦楽器の製作には、色々な方法がある。ある方法が間違いで、ある方法が唯一正しいと言う物ではない。出来上がった物がヴァイオリンの形をしていればそれで良いと思う。
しかし、300年以上も前に作られたある一部の楽器が、どうしてこんなに高く評価されるのだろうと考えた時、それは商業目的で作られた固定概念なのだろうか?。
これらの楽器の工作精度は、現代の単なる綺麗さだけを求めた精度の高い楽器から見たら、アマチュア以下だ。(失礼!アマチュアは自称プロと称している製作者より、ほとんど良い楽器を作る)
では、何があるのだろうか?
それは、楽器を作る事に対しての発想、価値観の違いであると思う。機械的な中心線や、対称性、均等性は楽器にイブキを吹き込まない。それは、沢山の仕事をこなした手から作られる力強い自由なリズムのある動きである。現代人は歪んでいたり非対称を恐れすぎている。
確かに歪んだ非対称な自動車は売れないだろうが(どこかの自動車会社で生産したら面白いと思うが)、ヴァイオリンの奥には、調和のある非対称は、存在していて良いのである。
この意見には或る意味大賛成ですが、、、
バイオリンの場合、ストラデバリウスと言う最高峰があって、それを如何に真似していくかというのが今のバイオリン作りの、正攻法であると言えるのです。
しかしそれも本当にまねしているのかという疑問はあるのです。
坂井さんも言っているのはその事です。
ストラデバリウスの作った真似と言っても、今の価値観,今の作り方でしかありません。
単に形を真似すると言っても、そこは楽器のことです、姿ではなくその音の成り達をも追及すると言うことでしょう。
二胡は、まだそこまでの物はありません。
これが絶対だという形自体がまだないのです。
或いはなくて良いのかもしれません。
使う材料にしても、黒檀紫檀等S真ざま無樹種を使います、それぞれの音色の違いというのを楽しむところがあります。
しかしバイオリンは、全て同じ材料を使い全て同じ規格です。
こんな楽器と言うのは、他に有りません。
二胡作家それぞれが工夫して、其々の鳴りを追求する方が、二胡の演奏家としては自分にピッタリな物が現れる可能性が高いでしょうから。
その上、いくら中国の人口が多いと言っても、二胡人口は多分1000万人には達していないでしょうし、中国ではこれからますます、少数派になっていくのでしょう。
そういう点では二胡は、今転機であるとも言えると思います。
今までの民族楽器としてのあり方から世界に通用する弦楽器にまで完成度を高めていくのが、これからの二胡作家たちの役割だとは思うのですが。
もちろん中国の楽器だと言うことであくまでも民族楽器の形は残したいと考える方も多くいらっしゃるでしょう。
しかし、私は二胡にもっと可能性を感じています。
それはたっぷりとした音色です。
その音色を出すのに引きやすく、完成度が高くバイオリンにも負けないようなボリュームが出るとしたら、二胡は世界にまで広がることも夢ではないのです。
日々の生活に追われると、そこまでの事を中国でも考えている人がどれくらいいるのかというのが、気になります。
とにかく私としては、出来れば世界中の人達が、気軽に楽しめる弦楽器となるように、いろいろ工夫をしていこうと思っています。
弦楽器の製作には、色々な方法がある。ある方法が間違いで、ある方法が唯一正しいと言う物ではない。出来上がった物がヴァイオリンの形をしていればそれで良いと思う。
しかし、300年以上も前に作られたある一部の楽器が、どうしてこんなに高く評価されるのだろうと考えた時、それは商業目的で作られた固定概念なのだろうか?。
これらの楽器の工作精度は、現代の単なる綺麗さだけを求めた精度の高い楽器から見たら、アマチュア以下だ。(失礼!アマチュアは自称プロと称している製作者より、ほとんど良い楽器を作る)
では、何があるのだろうか?
それは、楽器を作る事に対しての発想、価値観の違いであると思う。機械的な中心線や、対称性、均等性は楽器にイブキを吹き込まない。それは、沢山の仕事をこなした手から作られる力強い自由なリズムのある動きである。現代人は歪んでいたり非対称を恐れすぎている。
確かに歪んだ非対称な自動車は売れないだろうが(どこかの自動車会社で生産したら面白いと思うが)、ヴァイオリンの奥には、調和のある非対称は、存在していて良いのである。
この意見には或る意味大賛成ですが、、、
バイオリンの場合、ストラデバリウスと言う最高峰があって、それを如何に真似していくかというのが今のバイオリン作りの、正攻法であると言えるのです。
しかしそれも本当にまねしているのかという疑問はあるのです。
坂井さんも言っているのはその事です。
ストラデバリウスの作った真似と言っても、今の価値観,今の作り方でしかありません。
単に形を真似すると言っても、そこは楽器のことです、姿ではなくその音の成り達をも追及すると言うことでしょう。
二胡は、まだそこまでの物はありません。
これが絶対だという形自体がまだないのです。
或いはなくて良いのかもしれません。
使う材料にしても、黒檀紫檀等S真ざま無樹種を使います、それぞれの音色の違いというのを楽しむところがあります。
しかしバイオリンは、全て同じ材料を使い全て同じ規格です。
こんな楽器と言うのは、他に有りません。
二胡作家それぞれが工夫して、其々の鳴りを追求する方が、二胡の演奏家としては自分にピッタリな物が現れる可能性が高いでしょうから。
その上、いくら中国の人口が多いと言っても、二胡人口は多分1000万人には達していないでしょうし、中国ではこれからますます、少数派になっていくのでしょう。
そういう点では二胡は、今転機であるとも言えると思います。
今までの民族楽器としてのあり方から世界に通用する弦楽器にまで完成度を高めていくのが、これからの二胡作家たちの役割だとは思うのですが。
もちろん中国の楽器だと言うことであくまでも民族楽器の形は残したいと考える方も多くいらっしゃるでしょう。
しかし、私は二胡にもっと可能性を感じています。
それはたっぷりとした音色です。
その音色を出すのに引きやすく、完成度が高くバイオリンにも負けないようなボリュームが出るとしたら、二胡は世界にまで広がることも夢ではないのです。
日々の生活に追われると、そこまでの事を中国でも考えている人がどれくらいいるのかというのが、気になります。
とにかく私としては、出来れば世界中の人達が、気軽に楽しめる弦楽器となるように、いろいろ工夫をしていこうと思っています。