楽器は変化します。
地域と時間が変化すると共に変化していきます。
こんな世界中が一つの商圏になったような時代でさえ、地域が変われば手に入る材料も違い、
時代が変われば、人々の感性も変化します。
私の子供の頃にはエレキギターなど有りませんでしたし、勿論シンセサイザーなどという物も有りませんでした。
二胡も同じですね。
戦前には、今のような6角形というのに形は決まっていませんでしたし。
6角形が出来てからも、8角形や、偏八角形、或いは楕円系など、最近では変形5角形なども出てきています。
バイオリンなども、ストラデバリウス以来変化していないようで、意外とカーボン製のバイオリンや、形だけでも、微妙に違う物をそれぞれが工夫しています。
大きく言えばストラデバリウスの形と、ガルネリ、そして、アマティーの形の3つの物が有りそうですね。
作家それぞれに、F字孔の形も、大きさも表板のふくらみも違うのです。
二胡の場合もスタンダードな二胡と言われる蘇州型の二胡にしても、各メーカーでそれぞれ少しずつ違うのです。
中国人の演奏家それぞれに好みが有ります。
ただ全体に、中国系の楽器は少しくぐもった音の印象が有るのです。
これは、音楽の好みと、センスから来ているのでしょう。
私には、これらの楽器の音が、多少違和感があります。
倍音が多いということも有りますが、少し雑音というのも含まれているようです。
ですから、多少は材質の違いというのは分かりますが、同じ紫檀系統ですとそれほど際立って音の違いというのは出て来ません。
それこそ紫檀と黒檀の違いが分かる位です。
私の考えとしては、折角の揺れる音の二胡、
そして、木の材質で音が変わるとすれば、その木の材質のそれぞれの特徴がはっきり出て来るような楽器つくりというのは目指したいところです。
もちろん、中国製の伝統的な音と言われる、蘇州型の音の良さはあります。
もちろん中国音楽に向いているとは思いますが、
その伝統的な、音質で、クラシックや日本の曲或いはジャズというのを演奏したとしても、その曲なり演奏家の表現の助けにはならないと思うのです。
伝統的な二胡の音というのはあくまでも、何時の頃からか中国に入ってきた胡琴というものが、中国の民衆の生活の中に取り入れられる間に、中国の人々の好みに変わって来て、結局1950年代に今の形になったのだと思います。
ですからこれはあくまでも中国音楽を演奏する為の中国人の感性に合う楽器だと思うのです。
日本に入って来て、その入り方の一つが、PAを使う(音が小さいですし、雑音の為に多少録音の為に手を入れなければいけない)ということでCDから聴こえてきた音は、本来の伝統的な二胡の音とはすでに違って入って来ています。
その時にはすでに日本人好みに変化しているのだと思います。
ですから、皆さんが教室に入られた時に初めて生の二胡の音を先生から聴かされて、これは違うなという感想を持たれた方も多いと思うのです。
ましてや、最初に初心者用として購入した二胡は、殆どCDから聴こえて来た音とはかけ離れています。(技術の問題も有りますしね)
あくまでも二胡は、中国の伝統楽器であるという方もいらっっしゃると思うのです。
二胡の音は伝統的な中国の楽器から出てくる音と考えるし、それが好みであるという方も。
しかし、これだけ、ヨーロッパの音、クラシックの音、ジャズの音、演歌の音、日本の民謡のととで生活して来た今の日本人が、この中国の伝統的な音とされている、今の蘇州系の音に馴染むのかは分かりません。
私の想いは、この素晴らしい揺れる音色の二胡というものが、より広く世界に伸びて行ってくれたらよいなということです。
それには、その一民族の好みを超えた、洗練というのが必要なのではないでしょうか。
元をただせば、バイオリンにしても、ギターにしても、一民族の楽器であったと思います。
それらの音に取りつかれた沢山の民族を超えた楽器作りが、その楽器の最大の力を出せるように少しずつ少しずつ地域を超えて時代を超えて、作り替えて来、今の世界中の人々に愛されるような楽器に変化していったのだと思います。
今日本の中に、二胡の音はこれだと言える人はいないと思います。
皆さんそれぞれに自分の思う二胡の音というのが有るくらいに、二胡そのものにもバリエーションが有ります。
でも皆さん共通して言えることは、フレットの無い指板の無い揺れる音、とても親しみ安い人の声にも近い沢山の倍音というのは二胡の特徴でもあります。
これらを活かし、また木のそれぞれの音色を活かし、膝の上にちょこっと載せて、歌を口ずさみながら、気分を乗せて弾いて行ける二胡という楽器、
それらがより広く日本に或いは世界に広がってけるような音作りというのは、私の終生の願いです。
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地域と時間が変化すると共に変化していきます。
こんな世界中が一つの商圏になったような時代でさえ、地域が変われば手に入る材料も違い、
時代が変われば、人々の感性も変化します。
私の子供の頃にはエレキギターなど有りませんでしたし、勿論シンセサイザーなどという物も有りませんでした。
二胡も同じですね。
戦前には、今のような6角形というのに形は決まっていませんでしたし。
6角形が出来てからも、8角形や、偏八角形、或いは楕円系など、最近では変形5角形なども出てきています。
バイオリンなども、ストラデバリウス以来変化していないようで、意外とカーボン製のバイオリンや、形だけでも、微妙に違う物をそれぞれが工夫しています。
大きく言えばストラデバリウスの形と、ガルネリ、そして、アマティーの形の3つの物が有りそうですね。
作家それぞれに、F字孔の形も、大きさも表板のふくらみも違うのです。
二胡の場合もスタンダードな二胡と言われる蘇州型の二胡にしても、各メーカーでそれぞれ少しずつ違うのです。
中国人の演奏家それぞれに好みが有ります。
ただ全体に、中国系の楽器は少しくぐもった音の印象が有るのです。
これは、音楽の好みと、センスから来ているのでしょう。
私には、これらの楽器の音が、多少違和感があります。
倍音が多いということも有りますが、少し雑音というのも含まれているようです。
ですから、多少は材質の違いというのは分かりますが、同じ紫檀系統ですとそれほど際立って音の違いというのは出て来ません。
それこそ紫檀と黒檀の違いが分かる位です。
私の考えとしては、折角の揺れる音の二胡、
そして、木の材質で音が変わるとすれば、その木の材質のそれぞれの特徴がはっきり出て来るような楽器つくりというのは目指したいところです。
もちろん、中国製の伝統的な音と言われる、蘇州型の音の良さはあります。
もちろん中国音楽に向いているとは思いますが、
その伝統的な、音質で、クラシックや日本の曲或いはジャズというのを演奏したとしても、その曲なり演奏家の表現の助けにはならないと思うのです。
伝統的な二胡の音というのはあくまでも、何時の頃からか中国に入ってきた胡琴というものが、中国の民衆の生活の中に取り入れられる間に、中国の人々の好みに変わって来て、結局1950年代に今の形になったのだと思います。
ですからこれはあくまでも中国音楽を演奏する為の中国人の感性に合う楽器だと思うのです。
日本に入って来て、その入り方の一つが、PAを使う(音が小さいですし、雑音の為に多少録音の為に手を入れなければいけない)ということでCDから聴こえてきた音は、本来の伝統的な二胡の音とはすでに違って入って来ています。
その時にはすでに日本人好みに変化しているのだと思います。
ですから、皆さんが教室に入られた時に初めて生の二胡の音を先生から聴かされて、これは違うなという感想を持たれた方も多いと思うのです。
ましてや、最初に初心者用として購入した二胡は、殆どCDから聴こえて来た音とはかけ離れています。(技術の問題も有りますしね)
あくまでも二胡は、中国の伝統楽器であるという方もいらっっしゃると思うのです。
二胡の音は伝統的な中国の楽器から出てくる音と考えるし、それが好みであるという方も。
しかし、これだけ、ヨーロッパの音、クラシックの音、ジャズの音、演歌の音、日本の民謡のととで生活して来た今の日本人が、この中国の伝統的な音とされている、今の蘇州系の音に馴染むのかは分かりません。
私の想いは、この素晴らしい揺れる音色の二胡というものが、より広く世界に伸びて行ってくれたらよいなということです。
それには、その一民族の好みを超えた、洗練というのが必要なのではないでしょうか。
元をただせば、バイオリンにしても、ギターにしても、一民族の楽器であったと思います。
それらの音に取りつかれた沢山の民族を超えた楽器作りが、その楽器の最大の力を出せるように少しずつ少しずつ地域を超えて時代を超えて、作り替えて来、今の世界中の人々に愛されるような楽器に変化していったのだと思います。
今日本の中に、二胡の音はこれだと言える人はいないと思います。
皆さんそれぞれに自分の思う二胡の音というのが有るくらいに、二胡そのものにもバリエーションが有ります。
でも皆さん共通して言えることは、フレットの無い指板の無い揺れる音、とても親しみ安い人の声にも近い沢山の倍音というのは二胡の特徴でもあります。
これらを活かし、また木のそれぞれの音色を活かし、膝の上にちょこっと載せて、歌を口ずさみながら、気分を乗せて弾いて行ける二胡という楽器、
それらがより広く日本に或いは世界に広がってけるような音作りというのは、私の終生の願いです。
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