妖怪大魔王・コバ法王日記

オートバイを分解して磨き、正確に組み立て独自理論でラインを探り、ストップウォッチと頭脳で感性を磨き、日々の想い語ります

無償譲渡をして、得た大切なコト

2022-11-22 11:35:55 | 人として生きたい


「あと 100年生きるのは無理だな」と、やっと自覚して、3年前ほどから、持ち物などの身辺整理をしてきた。 大量にあった本や専門誌などは無料で古本屋さんに持込んで、手つかずで保管していた保存食品も友人に譲り、譲る相手が思いつかない品は廃棄していた。中には、古本の場合よりも高額で販売できる品も多くあったが、基本的に、僕は他者と金銭のやり取りはしたくないから廃棄も仕方無かった。

ただ、無償で譲渡が出来るサイトを発見して、少し考えが変わった。 僕が譲渡する品で相手の方の役立つ事があるに違いない。譲渡する品を通じて、品物を大切に受け継ぐ心に触れ合えるに違いないと。


『 3件を出品する 』

そんな訳で、先日、三つの品をサイトに掲載してみた。
すると、どの品も、市内の保管場所での引渡しなのに、掲載して 3~6時間の間に 20件を超える申込みが届いた。 そして、それからが大変だった。役に立ててくれる人、心が通じ合える人を見つけなくてはいけないからだ。
    
一人ひとりのメッセージを読んで、すべての人にメッセージを返して、どんな人なのか? 条件は合っているのか? どんな用途を考えているのか? 尋ねてみた。多い場合では、一人の人と 10回近くメッセージをやり取りした。でも、お会いできる時が楽しみだから、丁寧にやり取りして、3件ともに譲渡先が決まった。そして、3件ともに同じ時刻に来てもらう事にした。 心が通じ合える人なら、何か楽しい雰囲気になるかも知れないからだ。



『 1件目の譲渡先 』

最初に驚かされたのは、お相手の方は、何度もメッセージを交わして、お互いに確認した女性だった筈。なのに、車の窓から男の人が顔を出して、「〇〇の件やけど・・」と話かけて来た。見ると、子供をつれて家族全員が車に乗っている様で、肝心の交渉相手の女性は無言のままだった。

僕は、あまり不思議には思わず世間話をしながら、「無償譲渡しているのは、金銭のやり取りがしたくないから」、「何度もメッセージを重ねたのは、転売目的の人を避けるため」と譲渡の気持ちを伝えた。 すると、急に男の人の口調と態度が変わり、ぎこちなく明るい態度で大きな声で受け答えをする様になった。
変な後味が残ってしまった。



『 2件目の譲渡先 』

彼も、指定時間の10分近く前から車で来ていたけど、彼はちゃんと、右側駐車ではなく、左側駐車したまま、車内で時刻になるのを待ってくれていた。メッセージでやり取りした印象では、他の人は書かない自己紹介まで詳しく書いてくれた人で、とても誠実な印象だったが、実際にお会いしても同じだった。 そして、僕の事は、IDネームを通じて、オートバイに乗っている事なんかも調べていて、それも考慮して丁寧に対応してくれたのかも知れない。

だから、名刺をお渡しして自己紹介をした程に気持ちの良い出会いが出来た。
けれど、一つだけ残念な心情を聞かされた。それは、「オートバイ乗りには、とても悪い人達と良い人達がいるので ・・」という言葉だった。それは、僕に対して気を遣った正直な言葉だった。でも、好感を持った人の言葉だからこそ、僕が日頃から感じている通り、オートバイ乗りに対する社会的な評価の低さを改めて思い知らされた。




『 3件目の譲渡先 』

実は、彼と出会えた事が、その日の一番の収穫だったし、人生の中で良い指針を与えてくれた人だった。

彼の申込みメッセージの日本語は、少したどたどしかった。 そして、返信の長文メッセージを送ったら、「日本語はすこし・・・」と返ってきた。そこで、返信した長文メッセージを英訳して送ったら、直ぐに、英文で返信が返ってきた。それも、ビジネスで使われるフォーマルでとても礼儀正しい英文だった。だから、僕は彼が日本に居る境遇を考え、英文だけど、誰よりも言葉を適切に選んでくれた彼の誠実さに惚れた程だった。

そんな彼、誰よりも早く、一人自転車に乗って、笑顔でやって来た。
尋ねれば、シリア出身で、大学で博士課程履修の為に留学しているとの事。詳しくは忘れたが、英国か米国の大学課程を修了した後に日本に来たようだ。彼には「組立の説明をするから、順番は一番最後になるけどいいかな?」と伝えたけど、笑顔で快諾してくれた。その上、依頼もしていないのに、他の 2件の受け渡しを楽しむ様に手伝ってくれた、ナイスガイだ。

お互いに、日本語少し、残り英語という具合で、時々、会話は止まるけど、心はとても通じ合えた人だった。だから、品物を引渡した後も話題が止まらず、自転車の事からモバイルWiFiの事など、何を話したのか忘れてしまう程に時を忘れ、結局、2時間近く一緒に居た。
最後は、英語で、僕と出会った事に感謝しているという事を、とてもフォーマルで礼儀正しく伝えてくれた。僕も、日本語半分で、彼の親密感のある礼儀正しさに感謝を伝えた。「Your message in Japanese is not very good, But in English, your message is so polite and beautiful.」「あなたに出逢た事を忘れません」と。




『 大切にすべきコト 』

そんな無償譲渡を通じて得たコトは、僕が大切にすべきはモノは「僕のパーソナリティだ」という事だった。
 
僕が出会いたいと願っている人々が評価してくれるのは、オートバイを走らせての速さや、オートバイ関連の活動を長年続けている事ではなく、「僕のパーソナリティ・人格だ」と、はっきりと自覚できました。それは、僕が他の人を評価する際の基準そのものだし、きっと、世界の標準的な基準の一つだろう。 だから、オートバイや活動も大切にしたいけど、僕自身を守り育てる事を大切にしなければと思い直している。

これで、断ち切るのを難しく感じていた、身の回りの品々の整理にも未練が少なくなるだろう。でも、無償譲渡は少し迷っている。どんな人との出会いも成長の糧と割り切れれば良いのだが。

 



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オーストラリア、ワールドカップ代表選手たちの行動に想う

2022-10-31 16:58:54 | 人として生きたい

Human Rights Watch 発

オーストラリア、サッカー代表メンバー、 カタールで開催されるワールドカップに出場するにあたり、競技スタジアムや宿舎などが、移民労働者たちの不当な労働や犠牲によって建築されているとして、「人権保護」を訴えるビデオを発信しています。
 
     
 
カタールは潤沢な石油資源により、30万人の自国民に対して 200万人と言われる 出稼ぎ労働者 の労働によって成り立っている国で、以前から 国際的に人権問題が問われている国です。


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オーストラリア代表にとっては、遠く離れた国で、同国人が労働搾取されている様子も無いのですが、例え非難を受けるとしても、代表だからこそ搾取されている人々の人権の為に声を挙げる意味があると判断した結果だと思います。


そして、それは 1968年・メキシコオリンピック、男子 200m の表彰台で人種差別を抗議した 米国人 トミー・スミス(Tomie Smith)と ジョン・カーロス(John Carlos)の両氏に倣い、2位表彰台で 賛同の意志を示すバッジを胸につけた オーストラリア人、ピーター・ノーマン(Peter Norman)氏の勇気を讃える行為だとも思います。



ただ、当時のオーストラリアでは白人優先の “白豪主義思想” が色濃く残っていた為、帰国後はオリンピックメダリストとして称賛を受けなかったばかりか、メディアだけでなく同僚選手たちからも公然と批判を受ける事になり、選手生活は続けたものの、二度とオリンピック代表選手に選ばれる事もなく、2006年に亡くなりました。そして、彼の死から6年後、2012年に、オーストラリアオリンピック委員会がオリンピック代表選考において不当な扱いをしたと公式に謝罪し、彼の名誉回復が図られたのです。

オーストラリア人であればよく知られている事実で、人種が原因で不当に人権を侵害され搾取されている事に対しては、同じ代表アスリートの立場の一人として、自然に「行なうべき行動」として身に付いているのだと改めて思わされました。



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「人権」よりも、「利益」を重く扱う、政府

2022-07-26 16:15:04 | 人として生きたい

国連 発、
ミャンマー の死刑執行に対して、国連人権委員長の Bachelet 氏が、死刑執行を非難して「政治犯として捕えている人全員を釈放するように」と声明を出しています。


各国政府は、特に民主国家と言われる国は、常に人権を口にしながら、利益が絡まないと行動しようとしない。“難民問題” 然り “侵犯行為” 然り。 アフガニスタンへの米軍の侵攻と撤退では、多くの人権侵害や難民が生まれたのに、自称:民主国家は大国の行動に異を唱えませんでした。
      
また、2008年、グルジア(現在の呼称は ジョージア)の アブハシア地域と南オセチア地域に、ロシアが軍隊を侵攻させて占拠を続けている事や、2014年、同じく、ロシア軍が ウクライナのクリミア半島地域に侵攻して占拠した事に、欧州各国はさほど非難をしていません。
    
しかし、2022年、ウクライナの首都・キーウに対して侵攻を始めると、一斉に、一種過剰とも思える程に、ロシアに対して制裁政策を進めている様子を見れば、人権というより、自国利益と “人種” や “宗教”に偏った判断がある様に思われます。

Myanmar: Bachelet condemns executions, calls for release of all political prisoners
https://shar.es/afpcKs 



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ウクライナ、90年前、ロシアによる搾取の歴史 “ホロドモール”

2022-06-11 01:44:57 | 人として生きたい

BANGER!!! 伝、

ウクライナ、1932年以降、ロシアによる強制的な農作物搾取により、300万人以上の人が飢餓で亡くなった“ホロドモール” の歴史の作品です。 100年以上前からロシアによる過酷な搾取によって、多くの人々が移住を強いられ、亡くなった歴史があります。

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< ソ連による“人為的飢饉”を告発せよ! ホロコーストと並ぶ世紀の大虐殺を描く『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』>

https://www.banger.jp/movie/40963/


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1917年、ロシア革命以降、ウクライナは自治の獲得を求めて ソビエトと戦争を行なって敗北し、1922年に ソビエト連邦の一員に組み込まれる事に。 そして、1929年、米国で端を発した世界恐慌の影響を受け、ロシアは 農業国・ウクライナから農作物の供出(搾取)を強制的に行なって自国経済を安定させ、1932年以降、更に過酷な程に作物の搾取を行なった結果、前記の通り、300万人を超える ウクライナの人々が亡くなった事が知られています。が、1991年、ソビエト連邦崩壊まで、当然ですが 世界的には広く知られる事は無かった様です。
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ロシアにとって、スターリン政権以降、ウクライナは搾取の対象であった事は否めません。 そして、そのスターリング時代を懐かしむ人物が大統領に就き、権力を拡大させた今、歴史が繰り返されているのです。





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「AI エラー」と「ヒューマンエラー」

2022-06-08 00:00:17 | 人として生きたい

   
自動運転による事故は、恐らく皆無にはならないでしょう。しかし、社会的に導入される際には、人間運転による事故率よりも自動運転による事故率の方が低くなる事を正義として、立法を含めて正式に導入が決まるでしょう。 そうなった時、抱く心配は、自動運転と従来からの“人間運転” との混合になった場合、事故率が高まる恐れがある事です。
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人間運転の場合、周囲の人の運転操作を通じて、運転者の性格や嗜好、感情を推測して、次に起きるかも知れない危険な状況を未然に回避する運転をしているものです。
しかし、自動運転の場合は、周囲の状況はしっかりと把握して穏やかな運転操作を行ないますが、時として、そんな普段の運転状態からは想像し難い行動を起こす事で事故を誘発している様に想われます。そして、自動運転と人間運転が混合になった場合、自動運転が人間運転している人の予測には無い行動を起こす可能性があり、それによって増加する事故率も加味しなくてはならないでしょう。




それ以上に、もっと恐れるべき事は、「自動運転車との事故に遭遇した際、自動運転の判断は正当であり、相手側の人間運転側に大きな責任がある」という判決が出る事です。 
    
自動運転は次世代の主要産業の柱の一つですから、世界のデファクトスタンダードを握る為に、国から経済から法律までの支援を受けた大企業による国家プロジェクトですから、自動運転が人間運転との事故に遭遇すれば、非を一切認めず、自らの正当性を強く主張する事は容易に想像できます。周辺の交通状況のデータを仔細漏らさず正確に保存していて、保険会社もそれを司法の場に提出するでしょうから、ドライブレコーダーの映像と運転者の証言だけの人間運転では、従来通りの判決は期待できなくなります。
  
車の世界に限らず、「AI エラー」は滅多に起きるものではなく、「ヒューマンエラー」は起きる可能性は低くないと認識されています。今後2~3年以内に、日常生活の隅々までAIによる支援を受けて生活するスタイルが一般的になれば、「ヒューマンエラー」は AI の導入によって防ぐべきモノであり、人間にとって害でしかないという意識が一般的になるでしょう。
そんな時代になれば、人間の特徴であり人間らしさの根源とも言える、「ヒューマンエラー」は排除できない者は社会に適合できない弱者とされるでしょう。
 
そんな事を考えると、僕は、AI 信奉へと傾倒する社会に息苦しさと生き難さを感じてしまいます。

 
出典  :  自動運転 LAB. 「 自動運転車の事故(2022年最新版) 」
https://jidounten-lab.com/y_1615




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