妖怪大魔王・コバ法王日記

オートバイを分解して磨き、正確に組み立て独自理論でラインを探り、ストップウォッチと頭脳で感性を磨き、日々の想い語ります

思い出の、鈴鹿の日々

2018-09-14 04:07:46 | 日記
今後の人生を考える一旦退職を期に、 色々なモノの整理を進めている。
すると、その整理対象になったモノ達が僕に語りかけてくれて、時には鮮明に過去を思い出させてくれる事がある。
その一つに『鈴鹿』があった。

『鈴鹿』と言えば、僕達の年代のオートバイ乗りにとっては夏の8時間耐久レースかも知れないけど、“変わり者” の僕にとっての『鈴鹿』とはトレーニングの思い出だ。
それは、ホンダが鈴鹿サーキット内に50年以上前に開設したトレーニング専用施設:[交通教育センター]でのライディングトレーニングで、格式を感じさせる木製の額に記念写真と共に収められた “ トレーニング終了証 ” だ。


1984年、初めて受講した『鈴鹿』は、現在とは異なり一泊二日での合宿カリキュラムコースだけで、受講料は2万円台後半と当時としては高額だった。
昔ながらの集合時間や整列集合などの規律に厳しいものの、専用コースで時間をかけて走行と指導を繰り返す教習はそれまでに体験した事の無い充実した練習だった。


トレーニング専用の上下ウエアを支給され(その後、貸出制に変更)、練習用車両貸与され(車両は自身で選択)、約 1時間のサーキット占有走行、約 2時間強の不整地走行練習(洗車時間を含め)以外は ブレーキング練習からスラローム練習漬けの二日間。
そして、練習後には撮影された走行動画を全員で観ながら、それぞれの注意点や良い点の指摘のレクチャーを個別に受けられたものだ。


サーキットホテルでの宿泊と合計 4食の費用込みで、いつも夕食は焼き肉で朝食はバイキング形式の食べ放題だった。
参加する人達も20代から30代と若く、皆活気があり練習にも熱心で、当然ながら夜の宿舎の中が一番賑やかだった。


そんなトレーニングコースだから魅せられた様に通い詰めた。
木製額入りの “ 終了証 ” の贈呈式(?)が終わった1987年までで 20回受講した。(整理した木製額の数)


“ 終了証 ” がラミネートカードに変わった 1988年以降も熱は覚めず、やがてカリキュラムそのものを僕が借り切って参加者を募集した企画『こばジム』(小林のジムの意)の開催へと変わっていった。
そして、1991年以降は、『こばジム』を更に発展させ、GRAとして練習コースレイアウトも企画作成した『 鈴鹿合宿レッスン 』へと繋がり、2004年までに合計 90回近く通った『鈴鹿』だ。


ただ、そんな『鈴鹿』も以前とは随分と変わっているようだ。
貸与されていたトレーニング用ウエアやゼッケン順の整列集合はとっくに無くなり、参加者の平均年齢はぐっと高くなり、賑わいのあった一泊二日・合宿カリキュラムは無くなり、肩や肘、胸などへの安全装備の装着が厳しく徹底されている様なのに、サーキット占有走行やオフロード走行は無いのだ。
しかも、熱い指導方針を持った熱血インストラクターの方々の影は無く(?)、血気盛ん(?)な転倒も少なく、参加者もインストラクターも “ゆとり教育” に変化している様だ。

だから、今も参加してみたい気持ちはあるけど、ずっと躊躇している。
ん?? 今更、30年前の様に走れないのだから、ちょうど良いんじゃあないかって ?
・・・・ そうかも知れないな。

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