中国でいわゆるゼロ・コロナ政策に対する民衆の抗議行動が拡大し、盤石と思われてきた中国共産党支配体制が綻びを見せ始めたが、これはパンデミック初期には感染防止策の範として自由主義標榜諸国によってさえ追随されたロックダウン政策の持続が体制維持の躓きの石となっていることを示している。
今般抗議行動は当面のゼロ・コロナ政策による厳しい生活統制に対する民衆の不満の噴出であるが、タイミングとしては習近平国家主席・党総書記の長期執権が既定路線となり、ある種の個人崇拝体制が明瞭となったことへの異議も裏に込められていると見られる。
しかし、今般抗議行動では「自由」や「共産党退陣」のスローガンが一部で掲げられるなど、一政策や個別の政権への反対を超えた中共支配体制そのものの打倒という従来は見られることのなかったスローガンが現れていることが注目される。
今般抗議行動は1989年の天安門事件とも対比されるが、天安門事件の抗議者たちは体制そのものの転換より、党指導部に対し当時のソ連共産党のゴルバチョフ政権を念頭に体制内改革を要求するレベルにとどまり、抗議行動も主として北京に集中していたことに比しても、今般抗議行動のスローガン、地理的範囲双方の拡大には注目すべき点がある。
今後の展開としては、確率の高さの順に、〈1〉武力鎮圧(弾圧)〈2〉政策撤回(緩和)〈3〉体制崩壊(政変)の三つがあり得るが、ここでは、いささか気が早いながらも、現時点では確率的に最も低いが、当ブログの問題関心に沿う(3)体制崩壊を考えてみたい。
実際のところ、体制崩壊予測にも、確率の高さ順に、(ⅰ)党内政変による新政権樹立(ⅱ)ブルジョワ民主勢力による新体制樹立(ⅲ)共産主義的民衆統治体制への変革の三つがある。
このうち(ⅰ)は厳密には体制崩壊ではなく、体制内改革であるが、党内改革派が離脱してブルジョワ民主政党を樹立する挙に出れば、(ⅱ)の展開に重なる。
一方、過去数十年来の資本主義適応化路線の中で育った新興富裕層の中から新たにブルジョワ民主政党が台頭し、政権の受け皿となる可能性もあるが、70年を越える一党支配が続き、対抗野党が完全に排除されてきた中では、共産党離脱者の存在抜きでは困難であろう。その意味では、(ⅰ)と(ⅱ)の展開は連続性を持つ。
いずれにせよ、中国のブルジョワ民主化は西側諸国の望むところであろうが、一党支配の崩壊後に多数の政党が誕生・林立し、安定政権が樹立されなければ、辛亥革命後の中国のようにある種の内乱状態に陥り、今や中国も枢要な参加者となっているグローバル資本主義に悪影響を及ぼすであろう。
(ⅲ)は確率的に最も起きそうになく、現状でこれを密かに待望するのは世界でも筆者一人くらいのものかもしれない。実際、中国共産党が事実上の中国資本党に変貌し、共産主義の結党理念が棚上げから在庫一掃へと転換された時代状況下では望み薄かもしれない。
しかし、拙『共産論』でも論じたように、中国に代表されるような共産党支配体制の諸国にあって、真の共産主義は「共産党に対抗する共産主義革命」によってもたらされる。言い換えれば、共産党から真の共産主義を取り戻すことである。その意味で、(ⅲ)は(ⅰ)と(ⅱ)とは明確な一線を画する展開である。
現状では、今般抗議活動は近年の世界各国で頻発する未組織市民による自然発生的な民衆蜂起の一種であり、筆者が年来提唱してきた民衆会議のような結集体の体を成していないが、さしあたってはゼロ・コロナに服従しない民衆の対抗権力としての結集体の設立に至るのかどうか、注視していきたい。