私はアウェイにあまり行かないので、九州の土を踏んだ経験は一度しかありません。もちろんレッズ絡みで、2003年の大分とのアウェイ戦です。当時は浦和もJ1に戻って3年目で、まだ安定してJ1を維持できるという立場ではありませんでしたが、当時昇格1年目だった大分に対しては少し格下意識がありました。
当時福岡に住んでいた弟と指定席を取って現地で合流することにして、私は金曜日のうちから飛行機で大分空港に降り立ちました。その晩、湯布院に泊まる予定にしていたからでした。まずは、海の向こうだった大分空港の立地条件には少し驚きました。
ホバークラフトで30分、陸路をバスで回ると約1時間でしたが、迷わず早い方を選び、大分の海で初めてホバークラフトの速さを知りました。以前は瀬戸大橋がなかった頃の宇高連絡船に使われていたことを、古い時刻表で見ていますが、意外な形での「初ホバークラフト」でした。
湯布院の旅館も離れの部屋になっている旅館で、ちょっと奮発しましたが、部屋に温泉がついているのはリラックスできて良かったです。水色の温泉というのも売り物という旅館で、名産の豊後牛に舌鼓を打ちました。
その翌日は別府温泉まで地獄巡りに出かけ、当時ビッグアイスタジアムと呼ばれたスタジアムに、シャトルバスで行きましたが、このスタジアムが山の中腹に立っているので、シャトルバスの降り場からは長い階段を上らされました。
試合はエメルソン、田中達也の2トップの活躍で3-1と勝利しました。あの当時、残留争いをする下位チームは浦和相手には4バックを全員守備に専念させる格下サッカーを挑むのが当たり前だった時代です。結構てこずるかなと思っていましたが、先制点が早い時間に入って早々と勝利を確信しました。
その後は別府温泉に宿を取り、温泉の蒸気で食べ物を蒸す名物の「地獄蒸し」を食べると、翌日は弟の車で福岡に向かい、福岡空港から飛行機で帰ってきました。面白い旅でしたが、まだ博多の夜を知らないので、いつか名物のとんこつラーメンを食べてみたいです。
当時福岡に住んでいた弟と指定席を取って現地で合流することにして、私は金曜日のうちから飛行機で大分空港に降り立ちました。その晩、湯布院に泊まる予定にしていたからでした。まずは、海の向こうだった大分空港の立地条件には少し驚きました。
ホバークラフトで30分、陸路をバスで回ると約1時間でしたが、迷わず早い方を選び、大分の海で初めてホバークラフトの速さを知りました。以前は瀬戸大橋がなかった頃の宇高連絡船に使われていたことを、古い時刻表で見ていますが、意外な形での「初ホバークラフト」でした。
湯布院の旅館も離れの部屋になっている旅館で、ちょっと奮発しましたが、部屋に温泉がついているのはリラックスできて良かったです。水色の温泉というのも売り物という旅館で、名産の豊後牛に舌鼓を打ちました。
その翌日は別府温泉まで地獄巡りに出かけ、当時ビッグアイスタジアムと呼ばれたスタジアムに、シャトルバスで行きましたが、このスタジアムが山の中腹に立っているので、シャトルバスの降り場からは長い階段を上らされました。
試合はエメルソン、田中達也の2トップの活躍で3-1と勝利しました。あの当時、残留争いをする下位チームは浦和相手には4バックを全員守備に専念させる格下サッカーを挑むのが当たり前だった時代です。結構てこずるかなと思っていましたが、先制点が早い時間に入って早々と勝利を確信しました。
その後は別府温泉に宿を取り、温泉の蒸気で食べ物を蒸す名物の「地獄蒸し」を食べると、翌日は弟の車で福岡に向かい、福岡空港から飛行機で帰ってきました。面白い旅でしたが、まだ博多の夜を知らないので、いつか名物のとんこつラーメンを食べてみたいです。
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