第1講 『子どものアドボカシーとは(意味・必要性・担い手)』 熊本学園大学堀正嗣氏のご講演を拝聴して感じたことを記載します。
まず、子どもの気持ちや意見をくみ取るにはどうしたらよいかと、講義後に出された最初の質問から、一番の確信をついていたと感じました。
子どもが初対面の大人に本心を心から話すはずはまずありません。また、乳幼児や障がいのあるお子さんもさらに言葉で表現できない以上、その代弁者になるのはものすごく難しいと思います。
回答として、「帽子を脱ぐ」ということが、腑に落ちました。対等な関係があってこそであり、それを、我々大人同士ができていない、そこから始めねばならないと気づかされました。
小児科医師として、日々、子ども達に接していますが、その子ども達の声を本当に聞けてきたかと、わが身も振り返らされる講義でした。
小児科医としては、子どもはこう言いたいということをくみ取ったあと、こちら側の解釈/誘導を入れて対応しています。小児科診療での専門家としてのアドボカシーのありかたと、単独アドボケイトとしての誘導しない、運転席に座らせるのは子ども本人であるというところの違いをうまく使い分けていく必要性があると理解致しました。
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