Q:人権には、三つの性質があると言われています。
その三つの性質とは、何ですか?
A:まずは、ひとは、人権を、憲法の発生の前から、もともと持っているということができます。(固有性)
憲法や天皇から恩恵として与えられたものではなく、人間であることにより当然に有するとされる権利であるということです。
「前国家的、前憲法的」なものであると言えます。
ふたつ目は、人権は、“原則として”制約/侵害されません。(不可侵性)
人権が原則として公権力によって侵されないということをいい、人権侵害を行う存在は、「国家転・公権力」であると想定しています。
公権力とは、行政権、立法権、そして憲法改正権も含みます。
三つ目は、いつでも、どこでも、だれでも、どんな場面でも保障されるものであるということです。(普遍性)
人種、性、身分などの区別に関係なく、人間であるというただそれだけで当然にすべて享有できる権利であるということをいいます。
天皇・皇族、法人、外国人、未成年者、罪を犯したものの人権など例外があります。
Q:プライバシーの権利、環境権、嫌煙権、など「新しい人権」は、どうやって導き出されるのですか?
A: 新しい人権は、明文のない人権です。
憲法は、14条以下に、詳細な人権規定が置かれています。
それらの人権規定は、歴史的に国家権力によって侵害されることの多かった重要な権利・自由を列挙したものであり、すべての人権を網羅的に掲げたものではありません。
プライバシーの権利など新しい人権といわれるものも、制定当時は、そのような考え方が日本にはなかったため、明文化されなかったのでしょう。
しかし、社会変革にともない生じた諸問題に対して、プライバシーの権利、環境権、嫌煙権、など新しい人権に法的に対応する必要性が増大してきました。
固有性の性質を述べましたが、すべての人間は、平等であり、一定の譲り渡すことのできない権利を、生まれながらに与えられています。
そのことを、生命、自由、幸福の追求する権利として、憲法13条の中で、生命・自由・幸福追求権という包括的基本権として規定されています。
あたらしい人権は、いわゆる「権利の種」としての13条において、一般的かつ包括的な権利幸福追求権によって基礎づけられ、裁判上の救済を受けることができる具体的権利であると解されています。
Q:人権は、不可侵であると言うことは、人権は、絶対無制約ということですか?
A:「自由は、他人を害しないすべてのことをなし得ることに存する」と定める1789年フランス人権宣言4条のように、人権は社会的なものであり、一定の限界を有すると考えられます。
三段階で、人権の制約を考えることができます。
まず、人権の核には、制約ができない人権が存在しています。
信教の自由、個人のプライバシー、差別をうけないことなど、個人の尊厳や内心の自由に関わるものです。
別名、「切り札」としての人権とも言われます。
その周辺に、合理的理由がなければ制約できない人権の枠があり、「基本的人権」と言われます。
そのさらに外側に、憲法10条から40条でいう、「人権」の枠があると考えます。
国または公共団体に保障を求める権利(17条)、刑事補償を求める権利(40条)などで、「憲法が国民に保障する自由及び権利」には属すが「基本的人権」ではないと解されているものを含むことになります。
Q:天皇・皇族、法人、外国人、未成年者、罪を犯したものの人権の保障は、人権の普遍性の例外ということですが、では、どのように人権が保障されるのですか。
A: 人権が保障されるかどうか、という点では、保障されています。
人権はどの程度保障されるのか、という点で、「どの程度保障されるのか」という程度の問題として解することになります。
Q:そもそも、人権は、なぜ、保障されねばならないのでしょうか。
A: 哲学的な、問いです。
人間は、社会を構成する自律的な個人として、自由と生存を確保し、その尊厳を維持されるべき権利を有する存在であります。
それら権利を、憲法が実定的な法的権利として確認したものが日本国憲法の人権です。
人権を保障することは、個人の自由、生存、尊厳性を保障することにつながるから、保障されねばなりません。
よって、まず、「人権は、なぜ、保障されねばならないか」の回答は、一義的には、人間らしく自由に生きるためです。個人の尊厳を守るところに理由があります。
副次的理由として、社会の発展、公共の福祉のためです。
個人の人権が守られ、経済活動が活発になされ、社会が豊かになる。
社会が発展して、豊かになるから、個人への保障の充実がフィードバックで返されることになります。
個人の尊厳と社会の発展は、「卵が先か、ひよこが先か」のように見られますが、副次的な、社会の発展・公共の福祉のためということが全面に立つことは、個人の人権の保障にプラスに働くかは、慎重に考える必要があるところであり、あくまで、まずは、個人の尊厳を先に立てることが、妥当なのではないかと考えられています。
*参考
『憲法』第5版 芦部信喜 岩波書店
福井康佐氏 憲法 講義
巫山戯たというよりは『盗みを犯している』『嘲り欺す』行為などをしている者は自覚ないないのではなく裁かれる有識者だから対象ではないと飽満なんですね。