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甲府市の市民レポーターがこうふの話題をお届け!

かずさんの街散歩vol.7

2020-07-30 13:26:23 | 紹介

玉諸地区


 

こんにちは。今年度の市民レポーター「かずさん」こと武田和巳(67才)です。

私は“健康のために甲府の街を散歩しながら、新しい発見をする”目標に、

市のホームページに掲載されている甲府市ウォーキングマップを見ながら31地区のコースを歩き中高年の立場で各コースを紹介していきます。

 

前回<vol.6 北新地区>の記事はコチラ

・vol.1<東地区Aコース>      ・vol.2<千塚地区北側コース> 

・vol.3<大里地区アイメッセコース> ・vol.4<里垣地区西コース>

・vol.5<住吉地区全周コース>

 

****コースの紹介****

第7回は、<玉諸地区>です。

~玉諸の由来~

玉諸神社の参道入り口には、“玉杉之舊跡”と書かれた石碑があります。古事記や日本書紀に登場する「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が、水害防止を祈願して一つの玉を埋め、その上に杉の木を植え、後に「玉室杉(たまむろすぎ)」と呼ばれるようになったという言い伝えがあり、この“玉室(たまむろ)”が、玉諸(たまもろ)になったそうです。甲府に日本武尊が来られたんですね。不思議な感覚です。

 

『甲府市ウォーキングマップ』p7に掲載

玉諸地区のウォーキングマップはコチラ

 

①2020年5月8日「玉諸小学校前」からスタートしました。

マップと飲み物を持っていざ出発!!

正面の門を背にして、右側に進みます。学校前の通り(青沼通り)は車の交通量が多く

スピードも出ているので、道路の横断時に注意してください。

数十メートル歩いたら、矢崎医院の看板を左折します。

山に向かって、道なりに歩きます(車通りは少ないですが、たまに来る車はスピ

ードが出ているので気を付けてください!)

途中の畑にはアヤメが咲いていて、道祖神もありました。

ちょっと寄り道! 左折して最初の十字路を右折し道なりに5分ほど歩くと「藤塚古墳」

があります。全長45mの前方後円墳ですが、現在は円形の一部が残っているだけでした。

コースに戻り少し歩くと十字路に出るので左折し、道なりに歩きます。

ぶどう畑が広がり、山の景色を楽しみながら歩けます。

しばらくするとT字路に出るので右折します。

すぐまた左折し、しばらく歩きます。

信号機の十字路を超えたら、右手に「玉諸神社」があります。

⑥玉諸神社でお参りをしていきます。

この神社は、日本武噂の時代から約2千年の歴史を持つ神社だそうです。後述の“見所”

で詳しく紹介します。

お参りをしたら、散歩コースに戻り濁川の土手に出ます。

散歩コースは左折ですが、右手方向を見てください。橋手前のこんもりした木の下に「五

條天神社」が祀られています。ここは、玉諸神社の接社です。

昔、この辺りに全長180間(約330m)の大橋が架かっていたとされ、「五条大橋伝説」

と、橋を護る女神の怖くて滑稽な「妖怪伝説」が言い伝えられているそうです。

機会があれば伝説を聞いてみたいです。

散歩コースに戻り、濁川に沿って直進します。野鳥が2羽、川で羽を休めていました。

土手を歩いていくと、途中、左側奥に、開基が行基菩薩とされる「千年古寺」と記

された古い寺院の「能満寺」があります。

コースに戻り、「里吉公民館」を通り過ぎて左方向の道を進んで行きます。

その後道なりに進み、ぶどう畑の手前を右折。畑の中を歩きます。

(今度は、ぶどうがたわわに実っている時期に歩いてみたいです)

橋の所で左折します。

ひたすら直進します。

国道20号にぶつかったら左折します(車に注意!)。

歩道橋手前で左折します。

玉諸保育所の横を通り、道なりに進みます。

つきあたりを右折し、玉諸小に向かって道なりに歩きます。

青沼通りに出て左折したら、玉諸小学校正門GOALです。

(途中トイレに寄れなかったので、ゴール後急いでトイレを探しました)

**** コース近くの見所紹介1 (玉諸神社)****

玉諸神社は、西暦110年(景行天皇の時代)に始まったとされる歴史ある神社で、“甲斐の国三の宮”と称されています(一の宮:浅間神社<あさまじんじゃ>、二の宮:美和神社<みわじんじゃ>)。

武田家、徳川家に手厚く加護され、本殿は徳川家康の時代に再建されたそう。

神楽殿は、西暦1871年に建てられたものです。

境内では、古い石祠(せきし)※がたくさん見られます。

※石祠=神が宿る石の祠(ほこら)。

春になると、境内の桜の木が満開になるそうです。

【玉諸神社の成り立ち】

玉諸神社は、織田信長の甲斐国侵攻による戦火で、重要な古文書を失っているとのこと。そのため成り立ちについての資料が無く、正確なことはわかっていません。

そこで私“かずさん”が、いろいろな資料から推測してみました。

 

(1)西暦110年(弥生時代後期)に、日本武尊が東征の御帰路に酒折の地を訪れた。

(2)酒折山(おそらく酒折宮旧跡の「酒折宮古天神(ふるてんじん)」。今は石祠があ

るだけ)から南方の甲府盆地を見ると、一面河川の氾濫で湖水となり、人々が困っ

ていた。

(→旧跡は酒折宮の境内地にありますが、関係者以外通行止めでした)

(3)日本武尊は水害を無くして民を救うため、湖面から出ていた場所(現在の玉諸神社

付近)に一粒の玉を埋納し、その上に一株の杉を植えた。

(4)人々は石祠等を「里宮」として、国玉大明神(くだまだいみょうじん)を祀った。

(→大己貴命<おおなむちのみこと>、国玉大名命、大国玉大神、大国主神とも呼ばれるそうです)

(5)御室山山中にある祠(酒折宮旧跡とは異なる)を「山宮」とし、玉諸神社拝殿跡地

で山宮里宮の合同祭典を行った。

(→今回、御室山山中にある祠の場所の確認には至りませんでした)

(6)いつしか里宮は「玉諸神社」と呼ばれるようになり、甲斐国三ノ宮に指定され繁栄。

武田家三代の時代が最も栄えた。

(7)織田信長の甲斐国侵攻による戦火ですべて焼失し、神社の規模も縮小させられた。

(8)徳川家康が本殿、拝殿などを再建した(武田菱ではなく、葵の御紋がある理由)。

 

「酒折宮」は、日本武尊が東夷征伐の帰りに立ち寄った際、御火焼翁(みひたきのおきな)と片歌のやりとりを行ったことから、連歌発祥の地と言われています。

 

日本武尊についてもいろいろな説があります。父が第12代景行天皇、子が第14代仲哀天皇、兄弟が第13代の成務天皇と、本人は天皇になれませんでしたがとにかく凄い人。仁徳天皇がひ孫にあたると言われています!

 

**** コースのお楽しみ紹介 ***

コースを外れますが、帰り路、玉諸神社近くの城東バイパス沿いで、手づくりクッキーが自慢の「西洋菓子工房ビザンドゥ」というお店を見つけました。

創業45年で、城東バイパスができたのを機に武田通りの新紺屋小近くからこの場所に移り、かれこれ14年になるとのこと。店名の“ビザン”は、ご主人の奥様の曾祖父、九谷焼の名工「清水美山(しみずびざん)」氏から。“ドゥ”はフランス語の「2」の意(2号店だから)だそうです。

**** コースの感想 ****

<玉諸地区コース>は、山が近く、ぶどう畑があり、田園風景の多い気持ちのよい散歩コースでした。玉諸神社が意外と歴史があることに驚きました。桜が綺麗な神社なので、春にまた来ようと思います。歩く距離も丁度よく大満足でしたが、途中に利用できるトイレが無かったのは困りました。

追加調査で酒折宮旧跡までは行けませんでしたが、約2千年前に日本武尊が見たであろう場所から同じ甲府盆地を眺められたと思うと、とても感動的で悠久のロマンを感じたひとときでした。ぜひ足を運んでみてください。

 

****【かずさんの 勝手に5段階評価☆】****

甲府市ウォーキングマップ

https://www.city.kofu.yamanashi.jp/kenkoese/kenko/kenko/kehatsu/walking.html

 

 <参考>

『こうふ 私の地域・歴史探訪 ~甲府を紐解く31地区の軌跡~』

https://kofu-tourism.com/news/77

 


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