うさぎ学園 多趣味部

学長でウサギのわちゃまる君・ZIPPO・ウイスキー・旅行・ガーデニング・釣り・・・今日も全力で遊びます!

そうだ、足利学校に行こう!(その1)学校が嫌いでも行ってみよう

2017-09-29 19:55:20 | 7号室 旅行代理室
史跡 足利学校は栃木県足利市にある「日本最古の学校」です。


ちょっと分かりにくいですが、たくさん停められる無料駐車場があります。
その駐車場から歩いて5分ぐらいで入口に到着します。
駐車場から足利学校に向かう途中、国道を渡るんですが・・・渡り方は2通りあります。
ひとつは横断歩道を渡る方法。
そこからは足利学校はこう見えます(ちょっとズームで撮ってます)。



もうひとつは陸橋で渡る方法。
階段の上り下りが面倒だと思わないなら、こっちがオススメ。
足利学校はこう見えます!



入口は『入徳門』っていいます。
足利学校に入る最初の門です。
1668年の徳川幕府第4代将軍家綱の時の創建ですが、1831年に鑁阿寺(ばんなじ)安養院(あんよういん)の火災(近くにあります)により焼失、1840年頃修築、その後明治の中頃に移転修築したということです。
扁額(へんがく)「入徳」は紀伊徳川家第11代藩主大納言徳川斎順の書です。
・・・写真が小さくて扁額が見えないかな・・・。



受付でパンフレットにスタンプ押しちゃいました。
普段はやらないんだけどね~。



これが入園券。
『足利学校 入校証』です。
後ろ側に『学校門』が見えますね。
1668年に創建され、現在、足利学校の象徴的な門となっています。
扁額「學校」の文字は明(みん)人の蒋  龍渓(しょうりゅうけい)が1555年に来日した時の書を、当時の国史館の狛庸(こまやすし)が縮模したものだそうです。



綺麗に手入れされた庭を歩いて行くと・・・。



更に門。
扁額に杏壇(きょうだん)って書いてあります。
『杏壇門』といいます。
1668年創建ですが、1892年に学校西方の火災で屋根、門扉が焼け、その後再建されました。
柱等に、この時の焼けた跡が残っています。



この扁額「杏壇」は紀伊徳川家第10代藩主大納言徳川治宝の書なんだそうです。



杏壇門をくぐると左側に・・・こんなのありました!
『海軍大将 東郷平八郎 手植えの月桂樹』です。
ミリオタは行くべし!!



杏壇門の先にはこの『孔子廟(こうしびょう)』があります。
聖廟とも呼ばれ孔子を祀ってある廟です。
建物の名称は「大成殿」で1668年に足利学校第13世庠主伝英元教の時に造営されたものです。
「大成殿」の様式は中国明代の古廟を模したものと伝えられています。
扁額「大成殿」は有栖川宮織仁親王(ありすがわのみやおりひとしんのう)の王子で、のちに京都知恩院門跡となった尊超法親王の書です。
※『入徳門』『學校門』『杏壇門』『孔子廟』は国の史跡指定に含まれています。



孔子廟の中には二つの像が祀られています。
ひとつはこれ、『孔子座像(こうしざぞう)』。
1832年に画家の渡辺崋山によって像の中にあった銘が発見され、1535年に彫刻されて納められたことが明らかになっています。
孔子が座っている像は珍しいそうですよ。



もうひとつは『小野篁公(おののたかむらこう)像 』。
古くから『足利学校は小野篁の創建なり…』と伝えられているので、創始者として祀ったとされています。



むう・・・ちょっと内容が難しかったかも・・・。
次回はちょっと面白い教材のお話。
お楽しみに!

※説明については足利学校ホームページを参照しています


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ふき)
2017-09-29 20:31:25
昨年こちらにお邪魔をしました
とても丁寧に 見学をされていらっしゃいますね
私はまじめに入学試験?を受けさせて頂きました
末尾に教材のとありますから
先走りましたら お許し下さい
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ふき様 (多趣味部 部長)
2017-09-29 21:20:00
入学試験といいますと「足利学校漢字試験」でしょうか。受けてる方が数名いました。
見学はよく見れば見るほど楽しくなりますし、『深く広く』が多趣味部ですので(笑)。
次回は試験ではなく、もう一つの教材をお伝え致します♪
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