明けましておめでとうございます。
昨年末、元国税庁調査官の大村大次郎氏の論考「なぜ日本のサラリーマンの年収はいつまで経っても低いままなのか」の要点を紹介しました。
https://38news.jp/economy/12983
日本は世界一の金持ち国家だが、その大半は、前から株などの資産をたくさん持っている人に集中しているというのがその要旨でした。
具体的な数字を挙げてのこの分析には、大いに納得させるものがありました。
大村氏のこの論考には、大きな反響があったらしく、その第2弾がMAG2NEWSに掲載されました。
なぜ他の先進国に比べて、日本だけが給料が伸びていないのかという問題を扱っています。
https://www.mag2.com/p/news/381708
この論考では、まず2つの理由を挙げています。
一つは、政官財を挙げて「雇用の切り捨て」を容認し、推進すらしてきたという点です。以下、引用してみましょう。
《1995年、経団連は「新時代の“日本的経営”」として、「不景気を乗り切るために雇用の流動化」を提唱しました。「雇用の流動化」というと聞こえはいいですが、要は「いつでも正社員の首を切れて、賃金も安い非正規社員を増やせるような雇用ルールにして、人件費を抑制させてくれ」ということです。
これに対し政府は、財界の動きを抑えるどころか逆に後押しをしました。賃金の抑制を容認した上に、1999年には、労働派遣法を改正しました。それまで26業種に限定されていた派遣労働可能業種を、一部の業種を除外して全面解禁したのです。2006年には、さらに派遣労働法を改正し、1999年改正では除外となっていた製造業も解禁されました。これで、ほとんどの産業で派遣労働が可能になったのです。》
付け加えるなら、2015年に労働者派遣法はみたび「改正」され、「ほとんど」ではなく、すべての業種で派遣労働が可能になりました。
しかも同じ派遣先で働ける期限が三年と規定されました。
さらに、それまで専門26業務では、派遣先で新規求人する時、派遣労働者に雇用契約を申し込むことが義務付けられていましたが、それが取り払われたのです。
その結果、非正規雇用の割合は増え続け、2018年にはほぼ4割に達しました。
これは23年前の約2倍です。
正規社員と非正規社員との平均賃金(男性)の格差がどれくらいかは、次の図表をご覧ください。
もう一つ大村氏が指摘するのは、日本の労働環境が実は非常に未発達だということ。
大村氏は、欧米の労働運動の歴史の長さに触れたあと、それが労働者の権利をしっかり守るようになった事情について、ドイツやアメリカの例を引いて詳しく説明しています。
日本の場合は、高度成長からバブル期まで、賃金の上昇が実現したために、それまでの労使対立路線から労使協調路線に切り替わりました。
労使の信頼関係の下に、「日本型雇用」が成立したのです。
企業は雇用を大事にし賃上げに力を尽くす代わりに、従業員は無茶なストライキはしないという慣行が出来上がったわけです。
そのため労働運動は衰退してしまいました。
再び引用しましょう。
《ところが、バブル崩壊以降、日本の企業の雇用方針は一変します。(中略)賃金は上げずに、派遣社員ばかりを増やし、極力、人件費を削るようになりました。企業が手のひらを返したのです。
そうなると、日本の労働者側には、それに対抗する術がありませんでした。日本の労働環境というのは、欧米のように成熟しておらず、景気が悪くなったり、企業が労働者を切り捨てるようになったとき、労働者側が対抗できるような環境が整っていなかったのです。》
よく納得できる説明ですね。
経営者は、景気が悪くなれば、まず真っ先に人件費を削ろうとするでしょう。
しかしこれに、もう一つ、よりマクロな観点を付け加える必要があります。
それは、こうした賃金低下を引き起こし、かつ長引かせた主犯は、緊縮財政に固執する財務省であり、非正規社員の増加を促した主犯は、竹中平蔵(派遣会社パソナ会長!)を中心とした、内閣府の諮問会議に巣食う規制改革推進論者たちだということです。
さらに掘り下げて言えば、これらの政権関係者たちは、「倹約神経症」を患っているか、さもなくば「自由」という名の亡霊に取りつかれ、グローバリズムを「いいこと」と信じているのです。
この病気とオカルト信仰のおかげで、国民が窮乏しようが知ったことではないという境地に達しています。
ところで、大村氏は、こういう事態になってしまったことの解決策として、二つの提案をしています。
《今の日本がやらなければならないのは、「高度成長期のような経済成長を目指すこと」ではなく、「景気が悪くてもそれなりにやっていける社会」をつくることなのです。》
《今、日本がしなくてはならないことは、日本の中に溜まりに溜まっている富を、もっときちんと社会に分配することです。》
大村氏の分析には敬意を表しますが、この解決策には、筆者は賛成できません。
たしかに、先進国では、高度成長期のような経済成長を目指すことは難しいでしょう。
しかし、他の主要先進国は、この5年間、どこもそれなりの成長を示しているのに、日本の成長率はご覧のとおり最低で、0%付近を徘徊しています。
そもそも資本主義社会は、そのスピードに違いはあれ、常に成長を続けてこそ経済を維持できるのです。
「景気が悪くても」では困るのです。
人々は、貧しくなることを最も嫌います。
景気の悪化は、デフレ→消費・投資の減退→さらなるデフレという悪循環を意味します(現にいまの日本がそうです)。
こうして日本人は、この20年間で、どんどん貧しくなってきたのです。
言い換えると、日本政府が取ってきた経済政策は、資本主義に逆行することばかりやってきたのです。
かつて日本は、1995年には世界のGDPの17%を占めていたのに、わずか19年後の2014年には6%を切っています。
日本は急速に後進国化しています。
それは単に、GDPのシェアの縮小という数字的な意味にとどまりません。
国内の需要に、国内での供給をもって応えることができず、資源、食料、インフラ、エネルギー、国防、技術、労働力など、あらゆる面にわたって他国に依存しなくてはならない状態を、後進国と呼びます。
いま日本は現にそうなりつつあるのです。
それを急速に進めたのが、安倍政権のグローバル経済政策であることは言うまでもないでしょう。
大村氏の2つ目の提案、「溜まりに溜まっている富を、もっときちんと社会に分配する」というのは、部分的には意味がありますが、残念ながら、根本的な解決にはなりません。
この提案は、具体的には、逆進性をもつ消費税の増税凍結、グローバル大企業の法人税の増税、所得税や相続税の累進性の拡大、国内設備投資減税、正規雇用促進企業や賃金値上げ企業への減税、などを意味するでしょう。
つまり、徴税の基本的機能の一つである、所得の再分配をもっと徹底させるということです。
平たく言えば、お金持ちから貧乏人にお金を流すということですね。
これらには一定の効果は見込めるものの、お金の面だけで経済政策を考えているため、肝心のことを見落としているところがあります。
そこには、「富」とは「溜っているお金」のことだという勘違いが見られるのです。
金持ちから貧乏人にただお金を流しても、そのお金が消費や生産活動に有効に使われず、貯金としてため込まれてしまっては、何の意味もないのです(家計の内部留保)。
では「富」とは何か。
それは、国民すべてが欲しているものを、なるべく他国に依存せずに生産する力のことを言います。
この力のうち、最も大切なものは、技術であり、その技術を駆使できる人々の労働です。
哲学者のヘーゲルは、金持ちがぜいたく品を買う方が、貧乏人に慈善を施すよりもずっと道徳的だという逆説を述べました(『法哲学講義』)。
なぜなら、高価なぜいたく品には多数の人々の労働が込められており、金持ちはその労働者たちの労働に対して正当な対価を支払ったことになるからです。
一国の経済に関する最大の政治課題とは、国民が持つ潜在的な生産力をいかに引き出し、それを流通のシステムにうまく乗せ、さらにそのシステムをいかに維持し、発展させるかということです。
それが日々の労働によって生きている一般国民を豊かにする道なのです。
このことは古今東西変わりません。
グローバル金融経済がのさばって、株主資本主義が横行し、普通の国民生活を圧迫している現代経済。
これを少しでも抑えるには、それを放埓に許しているいくつもの条件に規制を加えなくてはなりません。
そして、政府が進んで、資源、食料、インフラ、エネルギー、国防、技術、労働力(人材育成)などに投資するのでなくてはなりません。
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https://38news.jp/economy/12512
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https://38news.jp/economy/12559
・先生は「働き方改革」の視野の外
https://38news.jp/economy/12617
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https://38news.jp/economy/12751
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https://38news.jp/default/12904
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さて、北朝鮮問題だが、中国を後ろ盾に、上手に大国アメリカと五分に渡りあっている北朝鮮に対し、日本は米国にごねるカードは北鮮より多く持っている筈なのに、何時迄、米国の腰巾着をし続けるつもりなのか。中国も米国への牽制として北鮮を利用して来たが、何時でも見限る用意はしている。寂寞とした時代に我々は漂流している。ルサンチマンのレジームから逸脱できずに。アジアの不統一及びそれによって引き起こされる緊張関係をほくそ笑んでいる国の、何等かの操作が浮かび上がって来るのではないだろうか。またその国を動かしている軍産複合体制に突き当たるのである。イラク戦争が様々な陰謀によってでっち上げられ開戦されたことが、最早、周知の事実となって久しいが、ブッシュ及びアメリカの仕掛けた戦争が、犯罪行為として裁かれなければならないのは当然である。また、彼等にのこのこと追従した小泉純一郎は、当然断罪されなければならない。イラク戦争後の泥沼状況のなかで、日々、多くの人命が亡くなっている現実を見るにつけ、ブッシュのあまりにも愚かで稚拙で軽率な言行がもたらしたものへの憤りを痛感するのは、この私だけのことであろうか。日本では、偽装流行りのここ数十年だが、これら偽装の頂点に、偽装国家を展開させる偽装政治があることを忘れてはならぬ。
かつてフランシス・フクヤマは冷戦の終焉を「歴史の終わり」であると論じ、「資本主義が勝利し、社会主義が敗北した」と宣告した。あれから資本主義体制はほぼ全世界を覆い尽くし、マルクス主義は完全に過去のものとなった観がある。しかし資本主義の盟主アメリカは、かつてイギリスが辿ったように帝国崩壊へメルトダウン寸前の兆候を呈している。世界恐慌の再来もあながち非現実的とは言えぬ様相が屡々出て来ている。
シュムペータは、「資本主義は生き延びることができるか。否、できるとは思わない」と断言した。彼は「資本主義が成功すればするほど、資本主義はその存立基盤を失って行くのではないか」と懐疑していた。そして、リーマンショック以降、アメリカを中心とするグローバル資本主義は正しくそうした懸念を地で行くかの如く邁進している。「資本主義は生き延びるか」という問いに対し、チャーチルが嘗て言った「民主主義は最悪の政治制度だが、他の制度に比べれば最もまし」という言葉を拝借すると、「資本主義は最上の制度ではないかもしれないが、これまでの諸制度に比べればまし」という事になろう。
資本主義は、競争社会を前提とし飽くなき利潤追求を至上命題とする欲望の体系である。初期資本主義は、ヨーロッパ、イベリア半島のスペイン・ポルトガルにより展開された。両国は、中南米を始め世界中の富を独占すべく、帝国主義の礎を築いた。18・19世紀はアダム=スミスの古典派経済理論による自由放任主義が社会的基調となり、小さな政府(=夜警国家)の中で自由主義経済が追求された。自由と平等という両価値理念は、フランス革命等を経て近代市民社会を構築して行く上でシンボリックなものとなるが、この両者は並立することが困難なものでもある。自由を追求すれば不平等になり、逆に平等を厳守すれば不自由になる。景気変動が許容範囲のなかで展開すればいいが、勢い逸脱行為がなされるとパニックに陥る。それが独占資本主義段階が深化していく19世紀終盤から20世紀にかけて顕著となり、1929年の世界恐慌を迎えるに当たり、アダム=スミスの「国富論」は資本主義経済理論の主役から後退して行く。そしてそれに取って代わる資本主義延命化のための理論がカンフル剤的に注入される。すなわち、ケインズ理論による有効需要の創出であったが、この公共投資を重視する政策は、当時躍進していた社会主義的手法を利用するという苦肉の策であった。しかしケインズ政策による公共部門への過大比重により、その後、財政赤字が慢性的となり、80年代以降、「大きな政府」から「小さな政府」への復古がなされ、資本主義の原点の見直しが図られる。18世紀のレッセ・フェールが、恰も「神の見えざる手」により半世紀を経た後、蘇生したのである。
戦後日本のアイデンティティは、「経済」立国であった。高度経済成長を経て、日本社会は大変貌する。村落から都市へ人口が供給され、産業構造が高度化して行く中、経済成長維持が図られる地域社会の相互関係は、世界的には南(発展途上地域)が北(先進地域)の経済的繁栄に必要な資材を絶えず供給し続け、生み出される南北問題の構造と重なる。産業構造が高度化し、人口が村落地域から都市地域へと流動し、両地域における問題が相互作用の中で深刻化して行った。「外圧利用による構造改革」が、日本の生活関連社会資本整備にプラスとなった事は否定出来ない。日米貿易収支の不均衡が顕著になり出していた昭和60年、ニューヨークでのプラザ合意が、その後の円高傾向を決定付けた。円高により国内市場に於ける供給過剰が問題となって来るが、所謂、内需拡大策が唱えられ貯蓄性向の極めて高い日本人への消費がより一層喚起されて行く事になる。同時に消費行動を促す為の休日の設定が週休2日制の導入によって図られて行った。この実施は予てから急務であった労働時間の短縮に、延いてはそれが対日貿易赤字で嫌日感情を募らせていた米国や欧州先進諸国のジャパンバッシングを軟らげる事に貢献するものでもあった。週休二日制導入による余暇の増加は、アメニティ社会の到来と並行して人々の週末に於ける過ごし方に影響を与えて行った。週末のレジャーを巡り所謂リゾートブームが煽られ、観光開発が国家的プロジェクトのもと日本全土を覆って行った。その中で、哀しいかな、日本株式会社人間はリゾートやゴルフ場を目指し、ファッショ(ン)化された遊戯を真似乍らウィークデーの仕事の延長戦に興じて行った訳である。そしてリゾート開発やゴルフ場増設が、業界からの後押しで施行されたリゾート整備法を追い風にして、新たな問題を育んで行く。即ち、乱開発による自然破壊・環境汚染や政財界の癒着などの問題である。ゼネコン汚職や共和問題はリゾート開発やゴルフ場開発に絡んだものであり、結局、自民党は以上の問題を通して55年体制下に於ける長期一党支配にピリオドを打つ事になるのである。またこれらの問題の背景として、開発する側だけにとどまらず地域の活性化を図ろうと開発を安易に受け入れようとする、過疎化に悩む地方の実状があることも忘れてはならない。そして開発は土地を巡るバブル経済を膨らませ、土地転がしの橋渡しをし乍ら不良債券を雪ダルマ式に溜め込んだ金融機関の破綻並びにその監督官庁である筈の大蔵省の不祥事へと波及するものでもあった。
経済立国日本にとり、慢性的労働力不足は深刻な問題である。この背景として、近年における少子化があげられる。少子化はまた労働問題と相関するものでもある。女性の職場進出が男女平等の理念のもと実現化するなか、夫婦共働きが一般化しつつある。それによって少産傾向に拍車が掛かり、近い将来にはDINKs形態も市民権を得ようとしている。こうして、女性労働力確保による女性の職場進出は、新たな問題を提起する事ともなる。即ち、先述の共働き夫婦が増加する中で、出産を手控えようとする傾向が強まり、結果的に少子社会を助長してしまうという悪循環である。女性が子供を産み安心して働ける労働環境が、それを支えるべき筈の社会保障の未整備によりなかなか確保されないことによって、悪循環をより深刻なものとしている。このように労働問題・社会保障問題・人口問題は三位一体関係にあると言っても過言ではない。
90年代「失われた10年」は、取り返しのつかない状況を現出させた。「国債」を麻薬の如く常用し続け、雪だるま式にGDPを上回る借金総額となってしまった。財政赤字は当然、経済社会に悪影響を与える。経済不況で消費が低迷しスパイラル状況から脱出できず、社会のいたるところで地盤沈下が進行している。90年代に入りバブル崩壊後、長期的に日本経済が沈滞化するのに対し、中国経済は上海など沿海地域を中心に驚異的な高度成長を遂げ、ブリックス4カ国の主軸として世界の注目を浴びた。逆にアメリカはサブプライムローン問題を切っ掛けに、経済的苦境に喘ぎながら帝国崩壊へとメルトダウンして行く。日本の食糧安全保障は非常に危うい。第一次産業を切り捨て、産業構造を高度化し続けて来たツケを払わされている。日本国内がメイドインチャイナで溢れかえる今、嘗て中国大陸を軍事的に荒らし回り、負の遺産を残して来た我が国が、食料品を始め中国製品により報復されているかの様である。
非価格競争時代のかで、同一価格商品からの選別入手が、商品差別化を生む。大衆化の中で、現代人が差異の見出しにくい均質的傾向を強めて行き、個性の発露に苦慮するのと同様、現代市場も製品の均等価傾向が僅かの差異を創出し、利益を確保する為の商品差別化に繋がる。従って均質化し没個性化する現代人は、他者との差異を表層的個性に見出そうとして、消費生活において偽装的に差異化された品を獲得し、満足させられていると言えよう。
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