第191話. 始源の神の目に似たもの

2018-10-25 23:51:08 | 気になった映画
湖畔人です。

先日、第188話の気になった音楽(32) の所で、私の尊崇する宗教家がプロデュースした映画のエンドロールの所で始源の神の目が大きく映し出させるシーンがあり、その目が1ドル紙幣のピラミッドの目=プロビデンスの目の様であり、またアランパーソンズプロジェクトの『アイ イン ザスカイ』のジャケットにあるエジプトのホルスの目も彷彿とさせる、と言う話を致しましたが、他にも色々と神の目を彷彿とさせるような物は数多くあるように見えますね。

一つはネパールのルンビニ辺りにある多くの寺院では、よく塔の部分に目が描かれているようなのですが、その仏塔に描かれた眼と、映画に出て来た始源の神の目がかなり似ているように思えます。これらの目は仏陀の目のようなのですが、神々が教えを請いに来る位の、神々の中の神と言う立ち位置の仏陀は、ある意味、始源の神とは近い存在なのかもしれませんね。仏陀もオシリスも始源の神の枝葉のような存在、と聞いたことがございますし、関係が有るのかもしれませんね。

また、最近宇宙旅行で話題をさらったZOZOTOWNの運営会社の前澤社長が購入して有名になったバスキアの絵画がございますが、あのバスキアと同じ時代に、同じ新表現主義のカテゴリーの中で中心的人物だったユダヤ人画家、ジュリアン・シュナーベルが描いた作品で歌舞伎ペインティングという物があるのですが、歌舞伎の背景に使われた桜が描かれた布にランダムな横線と大きな二つの目が描かれた絵画作品で、この目もストゥーパに描かれていそうな眼が描かれているのです。タイトルも『Rebirth I』と言うもので、何かとても仏教的な匂いのするタイトルですね。

最後に、神の目と比較しては罰当たりかもしれませんが、シンプリーレッドの『stars』と言うヒット曲のビデオクリップにも大きな目が二つ出てきますね。ちょっと艶めかしい感じの女性の目が出て来るのですが、ビデオのモチーフは、砂漠=エジプト、星=宇宙と、何かとモチーフが映画の背景と被り不思議なのです。時代の雰囲気が一巡して来たのかもしれませんね。歌詞は女性に弄ばれて傷付いた男心を歌ったようにしか聞こえないのですが、どうも反サッチャーのメッセ―ジソングなんだ、との事です。どの歌詞がそれに該当するのかはサッパリ判りませんが、どうもそのようです。当時のアーティストは敬愛するサッチャーの悪口ばかりでホント嫌になりますね。
この曲には元MELONの屋敷豪太さんがエンジニア兼ドラムとして係わっており、この時期はシンプリーレッドの正式メンバーにも成っていましたね。当時のUKで彼が拘わった曲はSouL II SouL他メガヒットばかりで、触る物を全て金に変える神話のミダス王の如く破竹の勢いでしたね。凄い日本人がいたものです。因みに『stars』の屋敷豪太さんのドラミングは正直とっても恰好が良いです。

湖畔人

第176話. 追記(2):気になった映画『COCO』(邦題:リメンバーミー)

2018-09-24 23:49:49 | 気になった映画
湖畔人です。

先の追記でも言い足りなかったので、もう一回“第174話. 気になった映画『COCO』(邦題:リメンバーミー)”の追記で書き漏らしたことを記します。
今回言いたいのは、思いを伝える事、愛情を掛けることの大切さですかね。
もう100歳近くになり、ボケが始まっていて記憶も反応も曖昧なココお婆ちゃんですが、お父さんが歌ってくれた『リメンバーミー』を曾孫のミゲルが歌うと鋭く反応し、お父さんとの楽しい思い出を強く思い出して、その時だけはごく普通の状態に戻るのです。人間はいつになっても100歳になっても小さい頃のまんま。幼い頃に親に掛けて貰った愛情を昨日の事のように覚えており、その事が彼女にとっての大切な大切な宝物になっているのです。だから、家族や周りの方々を大切に思うのであれば、時間は限られているのですから、今の内、いかに大切に思っているのか、優しい言葉の一つでも掛けておくべきですよね。それが各自の宝になるのですから、優しい気持ち、優しい言葉を掛け、大切に思っていると伝えるべきなんでしょうね。直接的な言葉を表現するのはとっても苦手な自分ですが、極力、大切に思っている気持ちを自分なりのやり方で周りの大切な人達に伝えて行ければ良いなと思っております。

湖畔人

第175話. 追記:気になった映画『COCO』(邦題:リメンバーミー)

2018-09-24 23:44:22 | 気になった映画
湖畔人です。

そう言えば先の“第174話. 気になった映画『COCO』(邦題:リメンバーミー)”の記事で書き漏らしたことがあるので、追記します。

まず、この映画タイトルですが、原題が『COCO』、人の名前で、邦題が『リメンバーミー』です。COCOの方が言語を超えて世界中で受け入れるだろうに、わざわざ邦題に英語のフレーズを入れて来るのも妙ですが、聞けば、これはアンクリッチ監督ご自身のご意向だそうで、“この題の方が、この作品の重要なテーマが伝わると思ったからそうした。亡くなった人たちの事を憶え続ける事が大事、また彼らとの思い出を生かし続ける事も大切、そう言ったメッセージを伝えたかったから日本向けはそのタイトルにしたんだ”と言うような趣旨の事を言われているようです。確かに名前よりは言いたいことは伝わるかもしれませんけどね・・・。

また、劇中では、朱色の花が効果的に且つ象徴的な意味で使われています。死者の世界とこの世を結ぶ橋は朱色の花びらで埋め尽くされていて、子孫が自宅に遺影を飾っていない霊人は、死者の日にこの世に帰る資格が無いのですが、無理やりこの世に戻ろうとその橋を渡ろうとすると、この朱色の花びらに埋もれて先に進めなくなってしまう不思議な花として描かれています。また、呪いの掛かった生きた人間がこの世に戻る時には、先祖の許しが要りますが、その儀式の時にもこの朱色の花びらが使われ、許しを受けるとその花びらが光り輝きこの世に運ばれて来ます。この朱色の花はマリーゴールドの花びらとの事で、実際メキシコでは死者の日に沢山のマリーゴールドが街中に飾られる様です。とても素敵です。

また、霊界の役所で使われているPCは、アップル社の初期のPC Macintoshが使われていましたね。懐かしい箱型の可愛らしい機種です。『COCO』(邦題:リメンバーミー)”はピクサーの映画、ピクサーはアップルの創業者スティーブジョブズの作った会社、即ち親が一緒で、アップル社とは兄弟的な存在、親類みたいなもの。アップルの古いPCはジョブス絡みの先輩商品であり、ある意味先に役目を終え先にあの世に帰った親戚の先輩位な感じで捉えているかも知れず、一種の先祖と見立てて霊界で扱っているのかもしれませんね。
考え過ぎか・・・。

湖畔人

第174話. 気になった映画『COCO』(邦題:リメンバーミー)

2018-09-23 17:08:29 | 気になった映画
湖畔人です。

また死にまつわるお話で恐縮ですが、今回は、『COCO』(邦題:リメンバーミー)のご紹介です。またフライトで見た映画なのですが、またネタバレになるので、今後DVDやオンデマンドで観る予定がある方は読まない方が良いです。
前回の気になる映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』と同じく霊界とこの世の間を行ったり来たりして家族の問題を解決するお話です。
主人公ミゲルはメキシコの靴屋さん一族・リベラ家の出身、リベラ家は音楽を禁じている家系で、その理由は、先祖のひーひーお爺であるヘクターさんがミュージシャンで、音楽家としての出世を目指して家族を捨てて家を出て行ってしまい、残されたひーひーおばあさんであるママ・イメルダは残された家族を養う為に腹を決めて女手一人で靴屋を始め、猛烈に働いて、その結果一角の財を成し、それ以来、リベラ家は一族全員で靴屋を手伝っている一族な為、家族を置いて出て行ったひーひーお爺さんのヘクターの事を皆恨んでおり、同時にひーひーお爺さんが職業としていた音楽を一族全員に禁じ、嫌っていたのです。でも主人公のミゲルは実は音楽が大好きでミュージシャンになる事を夢見ています。何とか家族に認めてもらうために、先祖の死者の霊が家族に帰ってくると言われる“死者の日”に(日本でいうお盆)、街のイベントで音楽を披露し皆に音楽の才を認めて貰おうと企画しますが、そんな死者の日に、偶然、祭壇にあった大切なひーひーお婆さんの家族の遺影(ひーひーお爺さんの部分が破られており、ひーお婆さんであるココお婆さんと、この一族の主でミゲルのひーひーお婆さんであるママ・イメルダが写っている)を落としてしまい、写真が入ったフォトフレームを割ってしまいます。その時、中の写真が折り曲がっており見えない部分があった事を知り、その部分にはギターの写真が写っている事を知ります。その写真を見たひーお婆さんであるココお婆さんは少しボケ気味で普段は反応が薄いのですが、そのギターの写真には強く反応しており、それを見て、“パパ、パパ”と呟いたのです。ココお婆さんはパパが恋しいようです。ミゲルはその写真に写っているギターが憧れの伝説のミュージシャンであるエルメスト・デラクルスのギターと同じであることに気付き、エルメスト・デラクルスこそが自分のひーひーお爺さんなのでは無いか?と思い始めます。その場面で祭壇の部屋に入って来た厳格でミゲルを溺愛する祖母のエレナお婆さんと両親に遺影を割ったこと見つかり批判をされます。同時に、一族として、これからミゲルを靴職人として一人前にする事を宣言されます。ただ、音楽家になりたいミゲルは嬉しくありません。音楽家として認められたいミゲルは、屋根の上に上り、自分のひーひーお爺さんこそがエルメスト・デラクルスであり、自分もその血を引くものとしてミュージシャンになる!と声高に宣言しますが、エレナお婆さんや一族から大批判を受け隠し持っていた楽器など音楽に関連する様々なグッズを破壊されてしまいます。絶望したミゲルは我を失い家を飛び出し、エルメスト・デラクルスの霊廟に飾られているギターを盗んで街のコンテストに出ようとしますが、しかしギターを奪った途端、呪いに罹ったミゲルは霊的な存在となってしまい、霊人達からは見えるが、生きている人間からは見えない存在に成ってしまうのです。そんな中、死者の日ですので、続々と先祖達がこの世に降りて来ており、リベラ家の先祖一同も骸骨のような姿で家に向って歩いてきます。その途上、先祖達の霊はミゲルに気付き、ミゲルに声を掛け、一族の中心であるひーひーお婆ちゃんのママ・イメルダが訳あって死者の日なのに、この世に戻れない事を告げます。ミゲルとリベラ家の故人の一同は、死者の世界に戻り、ママ・イメルダを探しに役所に行くと、この世の子孫の家に遺影が飾られていない為ママ・イメルダだけがこの世に戻れないのだと役所の職員から告げられます。実は、ミゲルがママ・イメルダの家族写真の入ったフォトフレームを落として割って以来ミゲル自身がママ・イメルダの家族写真を持ち歩いていた為、リベラ家の祭壇にはママ・イメルダの写真が無かったのです。ママ・イメルダは、ミゲルに早く地上に帰って遺影を祭壇に戻すように言いますが、役所の職員によれば、先祖の霊が許しを与えないと、ミゲルに掛かった呪いが解けず、この世に戻る事が出来ないと言うので、ママ・イメルダはミゲルに許しを与えようしますが、ママ・イメルダは許しと同時にミゲルに音楽から離れる事を誓えと要求する為、それを嫌ったミゲルは、何とかひーひーお爺さんと思われるエルメスト・デラクルスに直接会って、彼に許してもらおうと逃げ出します。ミゲルの願いを知ったデラクルスの知人と嘯くヘクターと言う霊がミゲルをデラクルスに会わせる手伝いをするからその代わりに、自分の遺影を自分の子孫に渡してくれと言います。と言うのも、前述の通り、子孫の所に遺影が無いと死者の日にこの世に戻る事が許されず、子孫に遭わせてもらえないし、そもそも子孫に忘れられてしまうと、骸骨の姿をした霊達は第二の死を迎え光となって消えてしまうので、早く遺影をこの世の子孫に渡し、子孫に自分の事を思い出して貰いたいのだ、と言うのです。子孫にも会いたいし第二の死を迎えたくないヘクターはミゲルを助け、自分の思いを遂げようと、デラクルスにミゲルが会う手伝いをしようとします。まず音楽コンテストで優勝すればデラクルスのパーティーに出られると聞いたミゲルは、ヘクターの助けでギターを得、二人で協力してコンテストで優勝が狙える位の大好評を得ますが、リベラ家の一族がミゲルを探しに来たのが見えた為、コンテストの結果を待たずにミゲルはまた逃亡します。コンテストの優勝者が決まった後には、その優勝者達はデラクルスのパーティーに招待されている為、彼達に紛れてデラクルスのパーティー会場に何とか入り込み、勇気を出して歌を歌い注目を浴びて何とかデラクルスに合う事を実現します。自分の子孫だと言うミゲルをデラクルスは歓迎しますが、たまたま女装してパーティー会場に紛れ込んで来たヘクターとデラクルスの会話を聞いたミゲルは、実は、元々デラクルスとヘクターは嘗てコンビであり、一緒に成功を夢見ていたが、家族を置いてきた事を心苦しく思うヘクターは家に帰る事をデラクルスに告げると、作曲の才能を全てヘクターに依存していたデラクルスは困り果て、ヘクターを毒薬入りのお酒で殺害し彼の作曲ノートとギターを奪う事を思い付き実行し、その後、ヘクターの曲でヒットを重ねたデラクルスは国民的大歌手となり、一方毒薬を飲まされたヘクターは家族に会う帰路の途上で死を迎え、家族からは家族を捨てたダメ夫として恨まれ続け来た経緯を知る事になります。成功を手にするためには手段も選ばないのだと言うデラクルス、真実を知ったミゲルとヘクターがデラクルスの為した悪事を現世に戻って広める事が無いよう、ヘクターの写真を奪い、二人の洞窟に放り投げ行き場を失わさせます。ミゲルはあの世に来てから翌朝までに戻らないと本当に死者に成ってしまう為、このままだとミゲルはこの世に戻れず本当の死者になってしまうし、ミゲルがこの世にヘクターの遺影を持って戻れないとヘクターの子孫が高齢の為、ヘクターが第二の死を迎えるのは時間の問題です。このままでは本当に真相は闇の中、デラクルスの思う壺です。洞窟の中、ミゲルは、『リメンバーミー』と言う国民的な曲は実はヘクターが愛する娘ココ(ミゲルのひーお婆ちゃん)に向け毎晩歌って聴かせていた曲であったと知り、ヘクターこそが自分のひーひーお爺ちゃんであり、自分に流れる音楽を愛する血もヘクター譲りである事を知ります。洞窟に閉じ込められていた二人でしたが、祭壇のお供え物を食べミゲルと同じ呪いに掛かりミゲルと共にあの世に来ていた可愛がっていた野良犬ダンテより見いだされ、ママ・イメルダのペットで、アレブリヘスと呼ばれるあの世の導きの精霊でカラフルな羽の生えた巨大なジャガーの姿をした霊獣ペピータによって助け出されます。ミゲルはママ・イメルダに対しヘクターが家に帰ろうとしていた事、デラクルスに殺害され、作曲した音楽もギターも命も全て奪われた事を伝えヘクターは被害者であると伝えます。直ぐには許せないイメルダでしたが、第二の死を迎える寸前のヘクターに対し、ヘクターの遺影をベラクルスから取り戻す手伝いを一度だけすると告げ、ベラクルスから写真を奪い返そうと一族全員で奮闘します。その過程で、ペラクルスがカメラが回っていないと思い過去の悪事をブチマケ、成功を手にするためには手段は選ばないと言いミゲルを殺害しようとしますが、ミゲルは危機一髪ペピータに救われます。カメラで一部始終を見ていた観衆はデラクルスに激しいブーイングを浴びせ、ベラクルスはペピータにより場外にはじき飛ばされます。ベラクルスとの争いの過程でヘクターの写真を失い第二の死を迎える寸前のヘクターですが、時間制限ギリギリの朝が来る寸前でミゲルに許しを与え、ミゲルはこの世に戻る事が出来ます。家に戻ったミゲルは、厳格な祖母エレナが制止するのを振り切り、ギターを持ってココお婆ちゃんの所に行き、ココに、ココのパパであるヘクターがココをとっても愛していた事を告げ、そしてココの為に作られた歌、『リメンバーミー』をココの為に歌います。するとボケていて反応が無かったはずのココお婆ちゃんの指先が動き出し、ミゲルと一緒に歌を歌い始めたのです。普段は反応が無いココお婆ちゃんが、ミゲルの『リメンバーミー』を聴いて喜び反応する様を見て、ココの娘であるエレナお婆ちゃんもその様子に心から感動し、一族を守るため、これまで先祖から託されたルールを厳格に守って来たつもりであったが、その一方で、知らぬ間に大切な何かを見失って来たことに気付くのです。意識がはっきりしたココお婆ちゃんは、これまでしまい込んでいた破れた家族の遺影の一部、パパであるヘクターの写真と、これまでのヘクターの曲が記されている数々の手紙を皆に見せます。こうしてこの世においても、ヘクターこそがベラクルスの名曲の数々の本当の作者であり大音楽家であった事が皆に知られるようになり、ヘクターの名誉回復もされ、音楽を禁じていたリベラ家の戒も解かれ、大きな幸せが広がります。翌年の死者の日には、もう亡くなってあの世に帰っていたココお婆ちゃんとヘクターとイメルダの家族で仲良く子孫の家、リベラ家を訪れ、子孫と一緒に歌を歌い喜び合う、と言う素晴らしいお話でした。
映画の中では、ママ・イメルダとミゲルのやり取りがあり、嘗てはヘクターのギターに合わせ歌を歌う事が好きだったイメルダだったが、ココが産まれて、しっかりしなきゃと思うようになり、夢を追うヘクターに不安を感じていたし、ヘクター無き後、自分が強く成らねばと思いヘクターを憎むことで自分を保ち、働きに働いてきたと言うイメルダに対し、夢を否定すべきではないし、家族なんだから助け合う事が出来たはずだと言うミゲルとの間で見解の衝突が起きます。実際あれだけ才能があったヘクターですからあと少し待っていたら音楽で飯が食えたかもしれません。What ifの世界ですが、芸術を志す事、現実を見て諦め固い仕事をする事、その狭間の葛藤は普遍的なテーマですね。僕も今はサラリーマンですが、気質は芸術家で、どこかで諦めた過去があります。中々難しい問題ではあります。何が正解かは難しいですね。僕は今の選択が学びが大きかったと思っています。
この映画には、『DESTINY 鎌倉ものがたり』と共通点が幾つかありました。
一つ目は、前述の通り、この世とあの世をまたいだお話であり、
二つ目は、故人への誤解が、霊人の言葉を聞く事で初めて判明すると言うものです。やはり誤解をして、必要のない恨みを抱いているケースが多いのかもしれませんね。本当に気を付けないといけません。
三つ目は、人から虐げられた物への優しさがいざと言う時助けになると言う事です。リベラ家では禁じられた野良犬を可愛がっていたミゲルでしたが、その野良犬に後で救われています。『DESTINY 鎌倉ものがたり』の貧乏神と一緒ですね。色々と普遍的なテーマなのかもしれませんね。勉強になります。

それにしても、あの『リメンバーミー』と言う曲は名曲ですし泣かされます。マスクで顔を隠してばれないようにして観るのが大変でした。ヘクターが幼いココに『リメンバーミー』を歌うシーン、ミゲルがココに『リメンバーミー』を歌うシーン、両方とも涙腺崩壊です。
日本語版の最後に掛かるシシド・カフカさんとスカパラのバージョンもいい感じだと思います。

また、気になったのがヘクターの顔です。ああいう顔の人、結構日本にもいますよね。博多大吉さんとウルフル・ケイスケさんを足して2で割った感じでしょうか。結構見た事がある顔です。

湖畔人

第155話. 気になった映画 『DESTINY 鎌倉ものがたり』

2018-08-06 00:26:52 | 気になった映画
湖畔人です。

先日機内で『DESTINY 鎌倉ものがたり』を観ました。とても、示唆に富んだ、色んな霊界知識が散りばめられた面白い映画でした。ネタバレになりますが、昨年末の映画なのでお許しください。(DVDで本作を観る予定がある方は下記を見ない方が良いです。)
昭和初期の鎌倉が、古からの妖気が溜まった磁場となっており、幽霊、魔物、妖怪達が、日常的に跋扈する霊界とこの世の境目が曖昧になっている特別な場として描かれていて、この地に住む売れないミステリー作家・一色と、彼に嫁いだ若き美人妻・亜紀子に起きる、転生を超えた悪魔とのバトルの話でした。主人公の一色と、ライバル関係にある霊界の魔物(悪想念が人格を持ったと言う)天頭鬼は、一色の美しき妻・亜紀子を過去世においても取り合いをして来た歴史があって、過去世では一色が勝利をし、亜紀子と夫婦となって来た歴史があって、天頭鬼としては、今世こそは亜紀子と必ず夫婦にならんと様々な策を仕掛けます。まず、今世では、天頭鬼の嫌がらせにより、亜希子の生まれて来る時期が遅れるように操作されたようで、一色と亜紀子は大分年齢が離れてしまうのですが、彼らの運命は見事にその年の差を乗り越えてメデタく年の差カップルとなります。しかし、天頭鬼の手下の仕業で、亜希子の霊体が離脱しやすい状況が作られてしまって、そして天頭鬼の手下の悪さのせいでとうとう亜希子の霊体が亜紀子の体から抜け出てしまいます。本人も霊になった感覚があった為、自分の肉体を探しますが、天頭鬼の手下によって亜紀子の肉体はどこかに隠され行方知らずになってしまいます。実は、亜紀子の肉体は今世に執着がある死んだばかりの女性霊に勝手に与えられ乗っ取られていたのです。肉体を失った亜紀子は寿命が来ていないにも拘らず黄泉の世界に行かざるを得ない状況になり、一色に別れを告げ、黄泉の世界へと旅立ちます。しかしその状況に納得できない一色は、伝説のミステリー作家の未公開の原稿に書いてある黄泉への行き方を学んで、自らの霊体を離脱させ黄泉の世界へと旅立ちます。黄泉に着いた一色は、まずその伝説の作家に会って亜紀子を救うためのアドバイスを受けようとします。その伝説の作家に会いに行くと何故か一色の母親が出て来て、その伝説の作家が実は一色の父親である事を知らされます。実は一色は自分の母親はその伝説の作家と不倫関係にあると長らく誤解をしており、ずっと心を痛めて来たのですが、実は、その作家は父親が変装した姿であったとその時初めて知って衝撃を受けるのです。誤解が解け、父と母に霊界で再会出来た喜びに浸る一色は、密かに尊敬もしていた伝説的なミステリー作家でもある自らの父から亜紀子を救う為のアドバイスを受けます。想像力を使って物を出現させ、それでもって戦うのです、と指導を受けた一色は、単身敵のアジトに乗り込み亜紀子を連れ脱出をします。追いかけて来る天頭鬼に対し想像力を使って障害物を沢山出現させて奮戦しますが、力一歩及ばず、一色は天頭鬼に取り押さえられ、亜紀子は、言う事を聞かないと一色を殺すと脅されます。そして、永遠に天頭鬼の妻になると誓約書に書けと、迫られます。その窮地に突然何処からか法力を宿した茶碗が飛んで来て、天頭鬼を攻撃し、一色と亜希子を窮地から救い出します。この空飛ぶ茶碗は実は貧乏神の茶碗でして、嘗て亜紀子が鎌倉の自宅にいた頃、天井裏に住み着いて皆に嫌われていた貧乏神に対し亜紀子だけはとても親切にしており、その親交の過程で貧乏神と物々交換をしていて、その際に貧乏神から貰った物がこの茶碗だったのでした。その茶碗は絶体絶命の場面で飛んで来て、天頭鬼を攻撃し、ついでにその茶碗が一色と亜希子を乗せる空飛ぶ容器となって、一色と亜希子を無事に現世へと運び出し、一色と亜希子はまた幸せな夫婦へと戻ってハッピーエンドを迎える、と言うお話でした。貧乏神の恩返しと言う訳です。
この物語では、序盤から何度も武士(一色)と悪魔(天頭鬼)の戦いを示す彫刻やレリーフが何度も出て来ており、物語の終盤に起こる一色と天頭鬼のバトルを何度も暗示していました。その細かな仕掛けがとても面白かったです。貧乏神の少ない持ち物の中にも実は侍(一色)と悪魔(天頭鬼)の戦いを示すメダルのような小さなレリーフのような物があり、貧乏神の援護もある意味、以前から仕組まれていた神仕組みだったのかもしれません。
ここから学べることは、偏見を持たず親切心で人(神)と触れ合っておくと、困った時に思わぬところで救いの神となってくれる、と言う事です。何時でも見返りを求めず出会う人、出会う神、出会う動物等、全ての対象に、親切にしておく事が大事だなと思わされました。また、一色は長らく母は浮気をしていると何十年にも渡って誤解をし勝手に恨み心を抱いてきましたが、でもそれはただの誤解であった事が後から分かります。そういった誤解に基づく敵意や恨み心を持つケースと言うのは、実は意外と自分達の周りにも沢山あるのかもしれず、注意が必要だな、と思いましたね。勝手に思い込んで人を無駄に恨むのは、自分の仏性にも相手の仏性にも失礼ですし、ただの無駄なマイナス行為ですので止めたい所ですよね。確証も無く、勝手に思い込んで無駄に敵を作るべきではないな、と改めて思わされました。他にも色々と学びのポイントは多数ございまして、自殺をすると地縛霊になると死神が言っていましたが、多分それは本当の事ですし、霊界では想像力が全て、と言う一色の父の言葉も多分本当の事でして、何気に立派な霊界教育の啓蒙映画にもなっていてホントスゴイな、と思いました。ちと気持ち悪いのも事実ですが、でも、結構面白い映画だったと思います。あまり人気のない転生コースの魔界転生コースと言う選択があるのも、なかなか面白い設定ですし、丑三つ時にだけ現れる謎の駅から旧い江ノ電に乗って霊界に行ける話も何か粋な話だなと思いました。とても面白い映画ですので、是非一度DVD 等でご覧になる事をお勧め致します。

湖畔人