寺内大吉の化城の昭和史ではこんなことを示唆している。
下巻の215ページに…「西田税が英国留学へ旅立つ秩父宮にクロンウェル研究を進言した狙いは何であったか。清教徒革命の宗教性を法華経主義に置き換え「改造法案」が構想する「国家改造議会」を清教徒の「長期議会」になぞらえて考えて欲しかったのではなかろうか。とすれば、「改造法案」が巻頭でうたいあげる「天皇の大権」が問題となってくる。いわんや西田が末松太平に語った「世界史の鉄則は普遍的で、日本もその例外ではあり得ないことを明察されたい」とする秩父宮への進言は、“天皇譲位”を考慮しておいて欲しいと言いたげでもある。・・・・・」
クロムウェルは中学校あたりでも習うと思うが17世紀ピューリタン革命の英雄といったところか。1649年国王チャールズ1世を処刑して共和制を樹立したが、王政復古後には「王殺し」の汚名も着せられている。
昭和天皇が「下剋上」と評した体制は昭和3年の張作霖爆殺を契機として昭和20年まで脈々と続いていた。単なる軍隊内部の権力闘争などではない。日本国自体を揺るがす下剋上なのだということを、天皇自身が肌身で感受していたと思われる下剋上の意味する肌感覚、それは生命を脅かす危機感ともいえるものと思う。西田が秩父宮に緩やかに使嗾した「天皇譲位」とは一体何だったのか。それこそが226の本質であった、と言えよう。(文責:吉田)