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友人の死去

2020-01-21 11:36:04 | 日記
 昨夕、大学院時代の友人が亡くなったと知らせを受けました。おつれあいからの電話で知ったのです。当日の明け方、眠るように亡くなったと聞いたのですが、寺の坊守をしているおつれあいの落ち着きに驚きました。何年前に難病(病名は忘れましたが、徐々に体が動かなくなる病気)となり、治る見込みがないとのことでした。それでも、恩師の通夜・葬儀にも参列していたし、恩師の死後1年後の追悼式にも参加が可能でした。会って別れるときは、これが最期かもしれないといつも思っていました。
 昨年3月そのお寺の婦人会に呼んでもらいました。お寺に着く前に、入院している病院へ見舞いました。ことばを発することは困難でしたが、わたしがいうことは理解できていました。最後にゆっくりと、「あ・り・が・と・う」の声を忘れません。この世で会うのは、これが最期だと思った別れでした。
 大学院のときの同級生の死は、初めてです。だれにもやってくる死ですが、遅い早いがあり、72歳は早いです。治ることができない難病になるのも、原因がわからず、最初は悩んだことだと思います。「どうして自分がこんな病気になるのか」という自問が続いたことでしょう。しかし、おつれあいのことばからは、悩みが解消され、最期に近づくにつれ、数珠をいつももっていて穏やかだったといいます。おつれあいもやることはやっという気持ちがあったのでしょう。笑って話すことができていました。「義祖父母、義父母を送り、慣れているお葬式、予行演習を何度もやった」ということばは、その通りだと思いました。
 それでも、お葬式まではバタバタするでしょうし、忙しいと思います。終わったあと、彼女はどんな状態になるのかと思います。夫を亡くしたあとの彼女が気になります。
 わたしはつれあいを亡くしたあと、その喪失感で何もできなくなったので、そうなってほしくない気持ちがあります。彼女には、毎日のお参りなど寺の仕事が多く待っているので、喪失感に打ちひしがれている暇はないでしょう。そのほうが、落ち込まなくてよいのかもしれません。ただ、忙しいのは、体を心配してほしいと願うばかりです。
 友人の死は、いろいろ思うことがあります。思ったところで、わたしには何もできませんが、同じ年の同級生が亡くなるということは、むなしいものです。死は、ほんとうにもう会えないのですから。
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