仏教関係の雑誌に『大法輪』があります。その8月号にエッセイを書くよう依頼されました。このブログにも書いたことですが、普段から考えていて、しきたり・慣習のなかの焼香順がいつも気になったので、いい機会だと思い、「焼香は男女平等の順番で」と題して書きました。
そのままを載せます。
2016年につれあいを亡くしました。彼はいろいろな話ができる人だったので、元気なときに、葬送についてもお互いの気持ちや考え方を話し合うことができ、一致していました。亡くなったときに着るもの、葬儀をどうするか、遺骨をどうするかなどです。だから、亡くなった直後の問題は何もなかったのですが、その後の喪失感は予想もできないほど深く、アル中になるかもしれないという不安に襲われました。立ち直るためにわたしができることを考えたら、書くことでした。彼の死と再度向き合い、書き続け、一周忌に出版することができました。『自分らしい生前準備と葬儀―「生老病死」を考える』(あけび書房)です。「終活」ということばが一般化し、多くの人がお葬式やお墓を我がこととして真剣に考えるようになりました。むずかしい問題ですが、この本のなかでは、友人の事例を挙げながら、つれあいとわたしの考えから直葬を行ったこと、収骨をしなかったことなどなどを記しました。
本のなかで多くを書くことができなかった問題があります。「焼香順」です。
何回か葬送の講座があり、その度に提示したのが、図Aの順序が書いていない図です。非常に簡素化した関係です。「父が亡くなり、喪主を母がやり、喪主の焼香の次はだれでしょう」と提起します。返ってきた答えが「長男」。「その次は」と問うと、「長男の妻」。順に問うと、「次男」「次男の妻」「長女の夫」「長女」「次女の夫」「次女」となります。
おかしいと思いませんか。
家制度がなくなり、男女平等をめざすといいながら、家制度の時代そのものの順番です。それを最初に聞いたとき、ショックを受けたので、次回の講座からは、まず家制度の内容を話すことにしました。戸主(家長)として家名・家督(財産)・祭祀権(過去帳・家系図などの系譜、仏壇・位牌などの祭具、〇〇家之墓という墳墓)を継承する長男が喪主となり、焼香は喪主の次に母が行い、後は図①の通りだったのが、家制度の時代の焼香順です。
では、家制度がなくなった現代の焼香順はどうなるでしょう。図Bが、ジェンダーの視点で行う焼香順です。生まれた順番、亡くなった人に近い順序です。この焼香順を示したときの受講者のみなさんの反応は、「無理。無理ー!!」でした。なぜ無理なのかを聞いてみると、「世間が許さない」「親戚が許さない」という返事が返ってきました。そして、「頭では分かるけど、やっぱり無理―」というのです。
無理にさせているのは、世間や親戚です。それが焼香の場で男女平等に行うことを阻んでいるのです。それも宗教に関係するしきたりや慣習という名の下においてです。しかし、「世間や親戚」には、「わたし」も組み込まれ、存在しています。決して他人事ではないのです。しかし、「しきたりや慣習」となると、すぐに他人事に変心させてしまうのです。「しきたりや慣習」以外にも「伝統」にも同じことがいえるでしょう。
2018年度のジェンダーギャップ指数(男女平等指数)が、日本は149ヵ国中110位(要件として1. 経済活動の参加と機会(117位)、2. 教育の機会(65位)、3. 健康と寿命(41位)、4. 政治への関与(125位))であり、先進国といわれる日本の低さは驚くべき順位です。男女平等をめざすといいながら、その順位が上がらないのは、宗教に関係するしきたりや慣習や伝統として行われていることにも、その理由があるのではないでしょうか。
イギリスの王室は国王になる順位を生まれた順に変更しました。国王の順位を変更することができる国に比べ、世間や親戚の事柄なのに男女平等の焼香順ができないのは、何故でしょうか。それほど世間を変えることはむずかしいことなのでしょうか。焼香は滅多に行われることではありませんが、だからこそ、そのときに変えることができるためにはどうすればよいのでしょうか。
世間や親戚に向かって声を挙げることは大変です。しかし、いつまでもこのままではよくないでしょう。一度に変えることは不可能です。「まずは『長男から』をやめよう」という勇気ある声を出す人に、あなたはなることができるでしょうか。その声が男女平等をめざすワンステップでもあると思います。
追記
図Aと図Bを載せることができません。
本文を読みながら、想像してください。
載せ方が分からず、申し訳ありません。
そのままを載せます。
2016年につれあいを亡くしました。彼はいろいろな話ができる人だったので、元気なときに、葬送についてもお互いの気持ちや考え方を話し合うことができ、一致していました。亡くなったときに着るもの、葬儀をどうするか、遺骨をどうするかなどです。だから、亡くなった直後の問題は何もなかったのですが、その後の喪失感は予想もできないほど深く、アル中になるかもしれないという不安に襲われました。立ち直るためにわたしができることを考えたら、書くことでした。彼の死と再度向き合い、書き続け、一周忌に出版することができました。『自分らしい生前準備と葬儀―「生老病死」を考える』(あけび書房)です。「終活」ということばが一般化し、多くの人がお葬式やお墓を我がこととして真剣に考えるようになりました。むずかしい問題ですが、この本のなかでは、友人の事例を挙げながら、つれあいとわたしの考えから直葬を行ったこと、収骨をしなかったことなどなどを記しました。
本のなかで多くを書くことができなかった問題があります。「焼香順」です。
何回か葬送の講座があり、その度に提示したのが、図Aの順序が書いていない図です。非常に簡素化した関係です。「父が亡くなり、喪主を母がやり、喪主の焼香の次はだれでしょう」と提起します。返ってきた答えが「長男」。「その次は」と問うと、「長男の妻」。順に問うと、「次男」「次男の妻」「長女の夫」「長女」「次女の夫」「次女」となります。
おかしいと思いませんか。
家制度がなくなり、男女平等をめざすといいながら、家制度の時代そのものの順番です。それを最初に聞いたとき、ショックを受けたので、次回の講座からは、まず家制度の内容を話すことにしました。戸主(家長)として家名・家督(財産)・祭祀権(過去帳・家系図などの系譜、仏壇・位牌などの祭具、〇〇家之墓という墳墓)を継承する長男が喪主となり、焼香は喪主の次に母が行い、後は図①の通りだったのが、家制度の時代の焼香順です。
では、家制度がなくなった現代の焼香順はどうなるでしょう。図Bが、ジェンダーの視点で行う焼香順です。生まれた順番、亡くなった人に近い順序です。この焼香順を示したときの受講者のみなさんの反応は、「無理。無理ー!!」でした。なぜ無理なのかを聞いてみると、「世間が許さない」「親戚が許さない」という返事が返ってきました。そして、「頭では分かるけど、やっぱり無理―」というのです。
無理にさせているのは、世間や親戚です。それが焼香の場で男女平等に行うことを阻んでいるのです。それも宗教に関係するしきたりや慣習という名の下においてです。しかし、「世間や親戚」には、「わたし」も組み込まれ、存在しています。決して他人事ではないのです。しかし、「しきたりや慣習」となると、すぐに他人事に変心させてしまうのです。「しきたりや慣習」以外にも「伝統」にも同じことがいえるでしょう。
2018年度のジェンダーギャップ指数(男女平等指数)が、日本は149ヵ国中110位(要件として1. 経済活動の参加と機会(117位)、2. 教育の機会(65位)、3. 健康と寿命(41位)、4. 政治への関与(125位))であり、先進国といわれる日本の低さは驚くべき順位です。男女平等をめざすといいながら、その順位が上がらないのは、宗教に関係するしきたりや慣習や伝統として行われていることにも、その理由があるのではないでしょうか。
イギリスの王室は国王になる順位を生まれた順に変更しました。国王の順位を変更することができる国に比べ、世間や親戚の事柄なのに男女平等の焼香順ができないのは、何故でしょうか。それほど世間を変えることはむずかしいことなのでしょうか。焼香は滅多に行われることではありませんが、だからこそ、そのときに変えることができるためにはどうすればよいのでしょうか。
世間や親戚に向かって声を挙げることは大変です。しかし、いつまでもこのままではよくないでしょう。一度に変えることは不可能です。「まずは『長男から』をやめよう」という勇気ある声を出す人に、あなたはなることができるでしょうか。その声が男女平等をめざすワンステップでもあると思います。
追記
図Aと図Bを載せることができません。
本文を読みながら、想像してください。
載せ方が分からず、申し訳ありません。