自分らしいお葬式やお墓を考えましょう。

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「葬儀社大倒産時代」の記事について

2020-01-29 16:23:46 | 日記
 『宗教問題』という季刊誌を入手することができました。2019年夏季号と秋季号です。その夏季号に、「葬儀社大倒産時代」が特集されていて、高齢化社会のなかで死者の数が増えるのに、どうして葬儀社が倒産するのか疑問にもち、読みました。死者の数が多くても歴史をもたない葬儀社の数が多くなり、中小の、とくに零細の葬儀社が淘汰されているからだとわかりました。どこの世界にも弱肉強食があり、ネットの葬儀社が安売りなどを行っているせいもあり、合併と買収によって、大手はますます大手になっていくシステムがよくわかりました。2009年から2019年6月までに倒産した葬儀社の数は、124ですが、合併や吸収による数ではなく、「経営が行き詰まって潰れた事業者」を表すそうです。この数をどう見るかは難しいですが、その上に合併と買収によって、事実上倒産した葬儀社があることを示しています。
 特集は、碑文谷創へのインタビューや葬儀社の労働のブラック化の問題や葬儀社の合併と買収など、現在の葬儀社の現実を浮き彫りにしています。
 読みながら、なぜか心が沈んでいくことに気づきました。何の理由かはよく分析できませんが、葬儀社に頼らざるを得なくなった葬送の根本的な問題がまったく触れられていないからだと思います。葬儀は絶対必要という立場からの発言だけが掲載されているからではないかと思います。葬儀社の実態を表すものだから仕方がないのかもしれません。でも、わたしとしては、葬儀の絶対化ではなく、葬儀社なしでは行えない葬送のあり方に言及してほしかったです。
 葬儀社を必要としなければ曹操ができなくなったのは、なぜなのかをほんとうに知りたいと思います。葬儀社の歴史は浅いと書かれているとおり、葬儀社がなくても葬送を行ってきたのです。昔の葬送のままではないでしょうが、葬儀社を必要としない葬送はあり得ないのでしょうか。
 わたしのことを考えたら、98歳の母を抱えていて、順番通りに行けば、母がわたしより先に逝くでしょう。そのとき、葬儀社に頼まざるを得ない現実があります。つれあいを直送で送ったので、その通りにすると思いますが、葬儀社なしではやっていけないです。母を送ることをどう考えるかは、根本的な問題として考えていますが、亡くなってすぐに行わなければならないことは、どうしても葬儀社を必要とするのです。わたしの場合は、まず遺体を置く場所、棺を依頼しなければならないのです。
 わたしの友人が棺はネットで入手することができると教えてくれたのですが、その棺がマンションには置けないです。棺をネットで入手することに抵抗はありませんが、棺を置くことができない現実はどうしようもありません。葬儀社を必要とするのです。
 葬送をほんとうに自分が納得いくかたちでするには、どうしたらよいのかもっともっと議論があってもよいと思います。
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友人の死去

2020-01-21 11:36:04 | 日記
 昨夕、大学院時代の友人が亡くなったと知らせを受けました。おつれあいからの電話で知ったのです。当日の明け方、眠るように亡くなったと聞いたのですが、寺の坊守をしているおつれあいの落ち着きに驚きました。何年前に難病(病名は忘れましたが、徐々に体が動かなくなる病気)となり、治る見込みがないとのことでした。それでも、恩師の通夜・葬儀にも参列していたし、恩師の死後1年後の追悼式にも参加が可能でした。会って別れるときは、これが最期かもしれないといつも思っていました。
 昨年3月そのお寺の婦人会に呼んでもらいました。お寺に着く前に、入院している病院へ見舞いました。ことばを発することは困難でしたが、わたしがいうことは理解できていました。最後にゆっくりと、「あ・り・が・と・う」の声を忘れません。この世で会うのは、これが最期だと思った別れでした。
 大学院のときの同級生の死は、初めてです。だれにもやってくる死ですが、遅い早いがあり、72歳は早いです。治ることができない難病になるのも、原因がわからず、最初は悩んだことだと思います。「どうして自分がこんな病気になるのか」という自問が続いたことでしょう。しかし、おつれあいのことばからは、悩みが解消され、最期に近づくにつれ、数珠をいつももっていて穏やかだったといいます。おつれあいもやることはやっという気持ちがあったのでしょう。笑って話すことができていました。「義祖父母、義父母を送り、慣れているお葬式、予行演習を何度もやった」ということばは、その通りだと思いました。
 それでも、お葬式まではバタバタするでしょうし、忙しいと思います。終わったあと、彼女はどんな状態になるのかと思います。夫を亡くしたあとの彼女が気になります。
 わたしはつれあいを亡くしたあと、その喪失感で何もできなくなったので、そうなってほしくない気持ちがあります。彼女には、毎日のお参りなど寺の仕事が多く待っているので、喪失感に打ちひしがれている暇はないでしょう。そのほうが、落ち込まなくてよいのかもしれません。ただ、忙しいのは、体を心配してほしいと願うばかりです。
 友人の死は、いろいろ思うことがあります。思ったところで、わたしには何もできませんが、同じ年の同級生が亡くなるということは、むなしいものです。死は、ほんとうにもう会えないのですから。
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