『宗教問題』という季刊誌を入手することができました。2019年夏季号と秋季号です。その夏季号に、「葬儀社大倒産時代」が特集されていて、高齢化社会のなかで死者の数が増えるのに、どうして葬儀社が倒産するのか疑問にもち、読みました。死者の数が多くても歴史をもたない葬儀社の数が多くなり、中小の、とくに零細の葬儀社が淘汰されているからだとわかりました。どこの世界にも弱肉強食があり、ネットの葬儀社が安売りなどを行っているせいもあり、合併と買収によって、大手はますます大手になっていくシステムがよくわかりました。2009年から2019年6月までに倒産した葬儀社の数は、124ですが、合併や吸収による数ではなく、「経営が行き詰まって潰れた事業者」を表すそうです。この数をどう見るかは難しいですが、その上に合併と買収によって、事実上倒産した葬儀社があることを示しています。
特集は、碑文谷創へのインタビューや葬儀社の労働のブラック化の問題や葬儀社の合併と買収など、現在の葬儀社の現実を浮き彫りにしています。
読みながら、なぜか心が沈んでいくことに気づきました。何の理由かはよく分析できませんが、葬儀社に頼らざるを得なくなった葬送の根本的な問題がまったく触れられていないからだと思います。葬儀は絶対必要という立場からの発言だけが掲載されているからではないかと思います。葬儀社の実態を表すものだから仕方がないのかもしれません。でも、わたしとしては、葬儀の絶対化ではなく、葬儀社なしでは行えない葬送のあり方に言及してほしかったです。
葬儀社を必要としなければ曹操ができなくなったのは、なぜなのかをほんとうに知りたいと思います。葬儀社の歴史は浅いと書かれているとおり、葬儀社がなくても葬送を行ってきたのです。昔の葬送のままではないでしょうが、葬儀社を必要としない葬送はあり得ないのでしょうか。
わたしのことを考えたら、98歳の母を抱えていて、順番通りに行けば、母がわたしより先に逝くでしょう。そのとき、葬儀社に頼まざるを得ない現実があります。つれあいを直送で送ったので、その通りにすると思いますが、葬儀社なしではやっていけないです。母を送ることをどう考えるかは、根本的な問題として考えていますが、亡くなってすぐに行わなければならないことは、どうしても葬儀社を必要とするのです。わたしの場合は、まず遺体を置く場所、棺を依頼しなければならないのです。
わたしの友人が棺はネットで入手することができると教えてくれたのですが、その棺がマンションには置けないです。棺をネットで入手することに抵抗はありませんが、棺を置くことができない現実はどうしようもありません。葬儀社を必要とするのです。
葬送をほんとうに自分が納得いくかたちでするには、どうしたらよいのかもっともっと議論があってもよいと思います。
特集は、碑文谷創へのインタビューや葬儀社の労働のブラック化の問題や葬儀社の合併と買収など、現在の葬儀社の現実を浮き彫りにしています。
読みながら、なぜか心が沈んでいくことに気づきました。何の理由かはよく分析できませんが、葬儀社に頼らざるを得なくなった葬送の根本的な問題がまったく触れられていないからだと思います。葬儀は絶対必要という立場からの発言だけが掲載されているからではないかと思います。葬儀社の実態を表すものだから仕方がないのかもしれません。でも、わたしとしては、葬儀の絶対化ではなく、葬儀社なしでは行えない葬送のあり方に言及してほしかったです。
葬儀社を必要としなければ曹操ができなくなったのは、なぜなのかをほんとうに知りたいと思います。葬儀社の歴史は浅いと書かれているとおり、葬儀社がなくても葬送を行ってきたのです。昔の葬送のままではないでしょうが、葬儀社を必要としない葬送はあり得ないのでしょうか。
わたしのことを考えたら、98歳の母を抱えていて、順番通りに行けば、母がわたしより先に逝くでしょう。そのとき、葬儀社に頼まざるを得ない現実があります。つれあいを直送で送ったので、その通りにすると思いますが、葬儀社なしではやっていけないです。母を送ることをどう考えるかは、根本的な問題として考えていますが、亡くなってすぐに行わなければならないことは、どうしても葬儀社を必要とするのです。わたしの場合は、まず遺体を置く場所、棺を依頼しなければならないのです。
わたしの友人が棺はネットで入手することができると教えてくれたのですが、その棺がマンションには置けないです。棺をネットで入手することに抵抗はありませんが、棺を置くことができない現実はどうしようもありません。葬儀社を必要とするのです。
葬送をほんとうに自分が納得いくかたちでするには、どうしたらよいのかもっともっと議論があってもよいと思います。