岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

東北の旅 24 雄勝町4 雄勝町 名振浜

2019-01-10 10:06:39 | 東北 2013年4月

この文章は、2013年4月に東日本大震災に遭われた東北の岩手県と宮城県を訪問したときのものです。

最近、アクセスをしていただくことが多く、再掲させていただきます。

カテゴリーは「東北 2013年4月」です。

以下、再掲いたします。

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雄勝町名振浜の地図からです。



右の赤丸が名振浜です。
左の赤丸が復興商店街とオーリンクハウスがある旧総合支所の場所です。
峠を越えて行くことになります。
海岸沿いに行く道もあるのですが、今は通行止めです。

次はもっと広域を見てみましょう。



この名振浜は、岬の先にある不便な寒村のように思われます。
しかし、この辺鄙と思われる浜に、大規模経営体と学問的に称される旧家・永沼家があるのです。
この永沼家の歴史を知ることで、江戸期における三陸の様子(人々の交流の様子や通商や、藩の統治方法など)が見えてきます。

近世南三陸の海村社会と海商』には、詳しく述べられています。

1.永沼家は1556年、下野国(栃木県)から移住してきた伝承を持つ。。
2.この地には関東、西国からの移住者が多く、漁法も関西漁民の影響がある。
3.資金力、労働力、技術力を擁していた。
4.この地に土着してさらに大きくなり、この地の開発主体となりえた。

三陸地方には、「津波の後には南から人が移住してくる」という口承があります。
今回の大震災のような壊滅的な津波に襲われてしまえば、浜や港は人が住まなくなり、
やがて津波を知らない南の人々がやってきて住みはじめた。
そのようなことが何度も繰り返されてきた。
このように考えることもできると思います。

名振浜に向かいます。
峠を越えて行きます。
雄勝湾が眼下になりました。
美しい景色です。





峠を越え名振浜に着きました。





この浜に立って、なぜ人々がこの浜に住処を造ったのか。すぐに実感できました。
まさに「自然に抱かれる」という表現がぴったりの場所です。
誰だって、ここに住みたくなりますよ。

振り返ります。







人々の営みは今はここにはありません。



教えてもらった永沼家の場所です。



石垣がわずかに残るのみです。

失われたものの大きさにおののくばかりです。



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