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2013年1月20日付の朝日新聞に作家の荒並力さんの投書が掲載されていた。
荒波さんは、明石海人の評伝を書かれている。
投書の内容も重要と思われますので、転載させていただきます。
燃えて光を発した大島監督
私は13年前、ハンセン病の歌人、明石海人の評伝を刊行した。その取材の過程で、大島渚氏がサインを求められると。海人の言葉の「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない」と書き続けていることを知った。
評伝の冒頭に、このエピソードを入れさせていただきたいと考えた私は、大島氏に手紙を差し上げた。すると大島氏の母校の京都市立洛陽高校同窓会誌の創刊号のコピーを送ってきて下さった。
右ページに大島氏の先の言葉が、左ページに大島氏の挨拶文が掲載されていた。それを観た瞬間、大島氏がこの言葉をいかに大事にされているかを知らされたのだった。
大島氏の訃報に接した時、私の脳裏によみがえってきたのが、このエピソードだった。大島氏の生涯はまるでこの言葉の実践だった。病気になっても最後まで自らが燃える光を発し続けた生涯は、多くの人の心に生き続けることだと思う。
見事な追悼文です。
ありがとうございました。
明石海人については岩清水日記にも書いています。
荒波さんは、明石海人の評伝を書かれている。
投書の内容も重要と思われますので、転載させていただきます。
燃えて光を発した大島監督
私は13年前、ハンセン病の歌人、明石海人の評伝を刊行した。その取材の過程で、大島渚氏がサインを求められると。海人の言葉の「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない」と書き続けていることを知った。
評伝の冒頭に、このエピソードを入れさせていただきたいと考えた私は、大島氏に手紙を差し上げた。すると大島氏の母校の京都市立洛陽高校同窓会誌の創刊号のコピーを送ってきて下さった。
右ページに大島氏の先の言葉が、左ページに大島氏の挨拶文が掲載されていた。それを観た瞬間、大島氏がこの言葉をいかに大事にされているかを知らされたのだった。
大島氏の訃報に接した時、私の脳裏によみがえってきたのが、このエピソードだった。大島氏の生涯はまるでこの言葉の実践だった。病気になっても最後まで自らが燃える光を発し続けた生涯は、多くの人の心に生き続けることだと思う。
見事な追悼文です。
ありがとうございました。
明石海人については岩清水日記にも書いています。