2012年 北樹出版
この著作に関しては、古瀬徹先生のブログで知りました。
あとがきで、古瀬先生への謝辞が書かれています。
藤本一司さんの著作は2009年『介護の倫理ー贈与・身体・時間』を読ませていただきました。
この本は前作からの深化および展開をされた内容と思います。
現在、86ページあたりを読んでいます。半ばといったところです。
藤本さんはご自身の介護体験を通じて普遍性を追求していきます。
キーワードは「意識」と「身体」です。
「意識」の定義は書かれていませんが、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」という歴史的発言の「われ思う」こそ「意識」だと言われていると思います。
デカルトについてはもちろん詳しくは知りませんが、近代哲学の初めに位置した人といっていいでしょう。
デカルトは、近代哲学をもって近代科学を思想的に支えたと考えています。
「意識」と「身体」という二項でいえば、「意識」を「身体」の上においたのです。
近代科学は、「身体」の発展型ではなく、「意識」の発展型といえるでしょう。
現在、この「意識」至上主義が蔓延し、「身体」を支配していることこそ問題だと藤本さんは書いていきます。
そもそも「身体」が「意識」に先行しているものであり、「身体」は自らの祖先を遡り、人類の始原、いや宇宙の始まりまで遡ることができる。
この「身体」からの逆襲を著者が実感できたのは、自らの介護体験を通してだったと。
まったく私の勝手な読み込みですが共感できる内容です。
私の介護体験は、藤本さんの足元にもおよびませんが見習わさせていただくことが多いです。
自らの頭と身体で考えることって、とてもエキサイティングなことですね。
この本を読みながら思いました。
著者の自らの感覚から普遍性へ止揚させる論理は、森岡正博さんとの共通点を見ます。
森岡さんの「誕生肯定」は、彼のホームページで読むことができます。
この著作に関しては、古瀬徹先生のブログで知りました。
あとがきで、古瀬先生への謝辞が書かれています。
藤本一司さんの著作は2009年『介護の倫理ー贈与・身体・時間』を読ませていただきました。
この本は前作からの深化および展開をされた内容と思います。
現在、86ページあたりを読んでいます。半ばといったところです。
藤本さんはご自身の介護体験を通じて普遍性を追求していきます。
キーワードは「意識」と「身体」です。
「意識」の定義は書かれていませんが、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」という歴史的発言の「われ思う」こそ「意識」だと言われていると思います。
デカルトについてはもちろん詳しくは知りませんが、近代哲学の初めに位置した人といっていいでしょう。
デカルトは、近代哲学をもって近代科学を思想的に支えたと考えています。
「意識」と「身体」という二項でいえば、「意識」を「身体」の上においたのです。
近代科学は、「身体」の発展型ではなく、「意識」の発展型といえるでしょう。
現在、この「意識」至上主義が蔓延し、「身体」を支配していることこそ問題だと藤本さんは書いていきます。
そもそも「身体」が「意識」に先行しているものであり、「身体」は自らの祖先を遡り、人類の始原、いや宇宙の始まりまで遡ることができる。
この「身体」からの逆襲を著者が実感できたのは、自らの介護体験を通してだったと。
まったく私の勝手な読み込みですが共感できる内容です。
私の介護体験は、藤本さんの足元にもおよびませんが見習わさせていただくことが多いです。
自らの頭と身体で考えることって、とてもエキサイティングなことですね。
この本を読みながら思いました。
著者の自らの感覚から普遍性へ止揚させる論理は、森岡正博さんとの共通点を見ます。
森岡さんの「誕生肯定」は、彼のホームページで読むことができます。
コメントありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
社会福祉の分野で仕事をしてきましたが、当事者や家族の立場は推し量るばかりでした。
実の体験を出てきいることは両親に「お礼」を言わなくてはならないことですね。
息子である私が「被害者意識」を持つなどとんでもないことなのですが、これが難物です。
ということは一番の困難は自分自身の中にあるということですね。
これが「意識」というものでしょうか。
間違いなく「身体」ではありません。
なかなか「解脱」できません。
藤本様の次作を古瀬先生と一緒にお待ちしています。
それまでに私も少しは「身体」を磨きたいと思います。
ありがとうございました。
誠にどうも有り難うございます。
「身体からの逆襲」と書いて下さいましたが、
私の言い方より正鵠を射ていると思います。
「身体」と言うと、
すっと通じる人と、何それ?となる人とに
きれいに分かれる印象があります。
「自らの頭と身体で考えること」は、
ほんとうに「エキサイティング」ですね。
岩清水さんは、ご両親を介護なさっておられます。私にはできないことです(私は母一人のみです)。