アフリカ開発会議が終わった。
マスコミが集中して取り上げたこともあり、新しい(知らないだけか)情報を
学ぶことができた。
先日の岡山でも「国際保健セミナー」の出席者の顔もテレビに映っていた。
出席者で異彩を放ったのは、表題のボノとボブだ。
ボノはU2のメンバーだが、今の若い人は知っているのだろうか。
ボブはボブ・ゲルトフ。彼はブームタウン・ラッツのボーカリスト。
どうして、彼らを知っているかといえば、1985年の「ライブ・エイド」
参加者だから。CDは持っている(ベテラン世代ならでは)。
でも、85年といえば、今から23年前、若い人が知らなくても当然だ。
まだ、国鉄が走り、電電公社の時代だ。
この二人が、80年代から今まで継続してアフリカに関わっていたことが
すごいことだと思う。
両氏が朝日新聞に寄稿していた。31日朝刊掲載。
世界から見た日本。もっと具体的には、世界から見た日本の国際援助に
ついて。まことによくわかる。
もちろん、彼らは手練手管の主だから、リップサービスも濃い。
ボノ氏は、「日本と呼ばれる島国に、なぜ私がこんなにはまったのか。
ここで何かが起きている、『新しい風が吹く』と感じているからかもしれない」。
何かわからないながらも嬉しくなる書き出しだ。
そして、礼を失しないように、
「福田首相のリーダーシップでひとつだけ欠点がある(ひとつだけ!=岩清水)。
なぜアフリカの貧しい人たちにもっと支援すべきなのか。
日本の国民に説明する政治的努力が足りないということだ」
「日本が援助を倍増しても、ドイツの4分の1に過ぎない」
そして、日本はアフリカのためにもっと援助ができる国だという。
その気にさせることができる人だ。
ボノ氏が、「ライブ8」コンサート(2005年)で叫んだ言葉が印象に
残った。
「慈善ではなく、社会的公正を!」
どこかの国のSWに聞かせたい言葉ではないか(ドキ!)。
一方、ボブ・ゲルドフ氏の文章も注目に値する。
とにかく視野が広い。交渉相手の口説きか方もうまい。
例えば、以下の文章。
「沖縄に先進国が集まった00年、日本はエイズ患者が置かれた状態を
一変させるプログラムを提案した。世界エイズ・結核・マラリア対策
基金だ。
これらのお陰で、08年にはアフリカで約240万人が無償で治療を
受けられるようになった。
日本の指導力がなければ、この地球規模の協力は実現しなかった。
奇妙なことに、この功績に気づいている日本人は本当に少ない。
皆さんのつつしみ深い気質は知っている。だが善意と寛容に満ちた行いは
...」
この後は、もっと協力・支援をしてほしいと続く。
確かにアフリカに関する知識や情報は断片的だ。
アジア近隣諸国に比べると質・量ともに限られている。
彼の文章は、
「強者は責任と費用を担うものだ」
「日本はアフリカにかつてのように手を差し伸べなくではならない」
との訴えて終わる。
まことに説得力のある文章だった。
参考:以下はYahoo newsより
横浜市内のホテルで開かれていた第4回アフリカ開発会議(TICADIV)は30日の全体会合で、今後のアフリカ開発の方向性を示す「横浜宣言」を採択したほか、その具体的な取り組みを盛り込んだ「横浜行動計画」を発表し閉幕した。
事後チェックの枠組み「フォローアップメカニズム」を初めて設置し、欧州委員会など日本以外の援助国・機関のアフリカに対する「公約」に関しても、実施状況を確認することに道筋がつけられた。
横浜宣言には、(1)成長の加速化(2)平和の定着(3)環境問題・気候変動問題-の3テーマで、国際社会が取り組むべき課題を明記。参加国が今後5年間にとるべき行動計画には、福田康夫首相が表明したアフリカ向け政府開発援助(ODA)と民間直接投資の倍増などが明記された。
マスコミが集中して取り上げたこともあり、新しい(知らないだけか)情報を
学ぶことができた。
先日の岡山でも「国際保健セミナー」の出席者の顔もテレビに映っていた。
出席者で異彩を放ったのは、表題のボノとボブだ。
ボノはU2のメンバーだが、今の若い人は知っているのだろうか。
ボブはボブ・ゲルトフ。彼はブームタウン・ラッツのボーカリスト。
どうして、彼らを知っているかといえば、1985年の「ライブ・エイド」
参加者だから。CDは持っている(ベテラン世代ならでは)。
でも、85年といえば、今から23年前、若い人が知らなくても当然だ。
まだ、国鉄が走り、電電公社の時代だ。
この二人が、80年代から今まで継続してアフリカに関わっていたことが
すごいことだと思う。
両氏が朝日新聞に寄稿していた。31日朝刊掲載。
世界から見た日本。もっと具体的には、世界から見た日本の国際援助に
ついて。まことによくわかる。
もちろん、彼らは手練手管の主だから、リップサービスも濃い。
ボノ氏は、「日本と呼ばれる島国に、なぜ私がこんなにはまったのか。
ここで何かが起きている、『新しい風が吹く』と感じているからかもしれない」。
何かわからないながらも嬉しくなる書き出しだ。
そして、礼を失しないように、
「福田首相のリーダーシップでひとつだけ欠点がある(ひとつだけ!=岩清水)。
なぜアフリカの貧しい人たちにもっと支援すべきなのか。
日本の国民に説明する政治的努力が足りないということだ」
「日本が援助を倍増しても、ドイツの4分の1に過ぎない」
そして、日本はアフリカのためにもっと援助ができる国だという。
その気にさせることができる人だ。
ボノ氏が、「ライブ8」コンサート(2005年)で叫んだ言葉が印象に
残った。
「慈善ではなく、社会的公正を!」
どこかの国のSWに聞かせたい言葉ではないか(ドキ!)。
一方、ボブ・ゲルドフ氏の文章も注目に値する。
とにかく視野が広い。交渉相手の口説きか方もうまい。
例えば、以下の文章。
「沖縄に先進国が集まった00年、日本はエイズ患者が置かれた状態を
一変させるプログラムを提案した。世界エイズ・結核・マラリア対策
基金だ。
これらのお陰で、08年にはアフリカで約240万人が無償で治療を
受けられるようになった。
日本の指導力がなければ、この地球規模の協力は実現しなかった。
奇妙なことに、この功績に気づいている日本人は本当に少ない。
皆さんのつつしみ深い気質は知っている。だが善意と寛容に満ちた行いは
...」
この後は、もっと協力・支援をしてほしいと続く。
確かにアフリカに関する知識や情報は断片的だ。
アジア近隣諸国に比べると質・量ともに限られている。
彼の文章は、
「強者は責任と費用を担うものだ」
「日本はアフリカにかつてのように手を差し伸べなくではならない」
との訴えて終わる。
まことに説得力のある文章だった。
参考:以下はYahoo newsより
横浜市内のホテルで開かれていた第4回アフリカ開発会議(TICADIV)は30日の全体会合で、今後のアフリカ開発の方向性を示す「横浜宣言」を採択したほか、その具体的な取り組みを盛り込んだ「横浜行動計画」を発表し閉幕した。
事後チェックの枠組み「フォローアップメカニズム」を初めて設置し、欧州委員会など日本以外の援助国・機関のアフリカに対する「公約」に関しても、実施状況を確認することに道筋がつけられた。
横浜宣言には、(1)成長の加速化(2)平和の定着(3)環境問題・気候変動問題-の3テーマで、国際社会が取り組むべき課題を明記。参加国が今後5年間にとるべき行動計画には、福田康夫首相が表明したアフリカ向け政府開発援助(ODA)と民間直接投資の倍増などが明記された。
日本が見捨てられたのですね。
社会福祉に関しても、日本はとても内向きですね。SWも海外を見ていませんが、国民も支援を渋るようです。
四川大地震のカンパ活動に投げかけられた言葉を思い出します。
「国内も大変なのに、海外に支援できるか!」
それとこれは別なことですね。
まだ
アフリカを現代日本をつなぐ糸が見えないまま
石田洋子『アフリカに見捨てられる日本』
(創生社新書25,2008-6月)という本を読みました。
問題の経過がわかりました。
貴ブログの
この記事は
日本の社会福祉の現状と
アフリカへの視点とを
もう少し内的?というか
本質的なつながりのあるものとして受けとめたい、と思わされた記事でした。