昨日のブログの続きです。朝日新聞のインタビューより。
15名の女子選手から相談を受けた山口さんは彼女の出来る範囲で支援をした。
しかし、全柔連の対応はおざなりだった。
山口さんが選手に送った最後の言葉が「私は自立した女性になるために柔道をやってきた」だった。
引用します。
私は選手に言いました。「ここからはあなたたち自身でやりなさい」と。さらに「あなたたちは何のために柔道をやってきたの。私は強い者に立ち向かう気持ちを持てるように、自立した女性になるために柔道をやってきた」という話もしました。
彼女たちは気づいたんです。何のために柔道をやり、何のために五輪を目指すのか。「気づき」です。監督に言われ、やらされて。ということでいいのか。それは違うと。
私は今回のことで一番重要なだったのは、ここだと思います。体罰にも関わりますが、体罰を受けている選手はその中に入ってしまうと、まひしてしまう。自分のプラスになっているんじゃないか、先生は自分のことをおもってやってくれている。そんな考えに陥りがちなんです。
重要な指摘である。
体罰さえ被害者自身が正当化(合理化)する可能性があるのだ。
ここからが私たちの仕事だと思っています。時間がたつにつれ、彼女たちのことを「何様なんだ」という人たちが必ず出てきます。今度は矢面に経って守ってあげなきゃいけない。柔道界をあげてサポートするという姿勢が大切です。訴えたことが悪いんじゃない。問題をすり替えてはいけません。
山口さんの考えや行動に感銘を受けた。
ここまで考えが及ぶということは彼女自身の体験(体罰ということではなく)にも基づいているはずである。
告発した選手たちにとって、いや全柔連にとって、いやいや日本のスポーツ界にとって、山口香さんは非常に重要な存在になった。
最後に、
キーワードは「リスペクト」と「オープンマインド」。強い弱いを越えて相手を尊敬し、広く開かれた組織になって多種多様な意見を取り入れる。そこから始めることが大切です。
19世紀や20世紀の女性史を学んでいるのではない。
今の日本にある現実を直視することからしか出直しはできない。
指導者は愚鈍。
国がひっくり返った時にも、責任者はでなかった。
分かっている。分かっている。皆、分かっている。
わかっちゃいるけど、やめられない。
なぜ、やめられないのか。日本人には、その意思がない。
意思は、未来時制の内容である。日本語には、時制がない。
意思のないところに方法はない。
日本人の意思を確かめることは難しい。
ア、ホレ、スイスイ、、、、、、