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先日、歩いた高野山町石道の近くにある神社である。
町石道は、尾根通しに歩いていくので、右に左に谷を見て登っていく。
谷は深く、その谷底を南海電車と車道が通っている。
昔は、川沿い=谷を歩くのは危険とされていた。
京都北山などは、山の尾根を歩く道が中心だ。
その尾根道から少し下がったところに天野という盆地がある。
この天野に丹生都比売神社がある。「にうつひめじんじゃ」と読む。
天野は天野原に通じるようだ。
神社略記をには以下のように書かれている。
「四面山に囲まれた幽僻の地、海抜500mの盆地天野に約1700年前
よりおまつりされている丹生都比売神社は、通称天野社・天野大社と
呼ばれています」
1700年前というと西暦300年頃になるが、この時代にはもちろん
文字もなかったわけで、とても信じるわけにはいかないが、とにかく
格別に古いのだろう。
仏教伝来前だから社もないはずである。イワクラでもあったのだろうか。
まず信用できるのは天平時代頃からだろうから、それでも1400年
ほど前になるのだろう。
その後、弘法大師がこの地に現れるのが、1200年ほど前、この頃には
立派な神社になっていたのだろう。高野山の鎮守神らしい。
丹生都比売大神は、天照皇大神の妹神という。いかにも古い。
社殿が4社あり、4社殿とも1間社春日造りで日本では最大と
いわれている。
社宝の銀銅蛭巻太刀は国宝であり、東京国立博物館に保管されている。
昨年と今年、二度拝観したが、ぜひ訪れていただきたい神社である。
紅葉の季節は撮影に訪れる人も多い。
とにかく「幽僻の地」というのは確かだ。
※写真は境内にある太鼓橋。
町石道は、尾根通しに歩いていくので、右に左に谷を見て登っていく。
谷は深く、その谷底を南海電車と車道が通っている。
昔は、川沿い=谷を歩くのは危険とされていた。
京都北山などは、山の尾根を歩く道が中心だ。
その尾根道から少し下がったところに天野という盆地がある。
この天野に丹生都比売神社がある。「にうつひめじんじゃ」と読む。
天野は天野原に通じるようだ。
神社略記をには以下のように書かれている。
「四面山に囲まれた幽僻の地、海抜500mの盆地天野に約1700年前
よりおまつりされている丹生都比売神社は、通称天野社・天野大社と
呼ばれています」
1700年前というと西暦300年頃になるが、この時代にはもちろん
文字もなかったわけで、とても信じるわけにはいかないが、とにかく
格別に古いのだろう。
仏教伝来前だから社もないはずである。イワクラでもあったのだろうか。
まず信用できるのは天平時代頃からだろうから、それでも1400年
ほど前になるのだろう。
その後、弘法大師がこの地に現れるのが、1200年ほど前、この頃には
立派な神社になっていたのだろう。高野山の鎮守神らしい。
丹生都比売大神は、天照皇大神の妹神という。いかにも古い。
社殿が4社あり、4社殿とも1間社春日造りで日本では最大と
いわれている。
社宝の銀銅蛭巻太刀は国宝であり、東京国立博物館に保管されている。
昨年と今年、二度拝観したが、ぜひ訪れていただきたい神社である。
紅葉の季節は撮影に訪れる人も多い。
とにかく「幽僻の地」というのは確かだ。
※写真は境内にある太鼓橋。