ザッケローニ監督が、日本のスポーツ界に「体罰」があることに驚いていた。
当然のことだろう。
かつてのオリンピックで韓国の柔道女子代表に同国監督が「体罰」という暴力を振るっていたところを目撃したカナダ人コーチが驚いて大問題になったことがあった。
その記事を読んで、韓国と日本が「体罰」について共通点があるようにも、また植民地政策の中で日本の悪しき風習が受け継がれたのかとも思われた。
どちらなんだろうか。
日本の軍隊の「体罰」のひどさは有名だが、その根っこは、武士道やそれ以前にもつながるのだろう。
すなわち、悪しき伝統が延々と受け継がれたことになる。
当たり前のことだが、暴力が前提の時代から、「人権」について考える時代に変わってきた。
これは人類の進歩と言っていい。
勝利至上主義が体罰の温床になっていることは間違いない。
現在、発覚している事案はほとんどスポーツ有力校ないしはチームだ。
勝負にこだわれば、手段を選ばなくなる。
それがJOCの対応の遅さにも現れている。
今回の事件の広がりから、東京五輪の芽は摘まれた。
「体罰」という暴力を一掃してから、オリンピックの誘致を始めるしかない。
今頃、こんなことをしなくてならないないのかという歯がゆい思いもあるが、
多くの犠牲者に報うためにも、必要にして不可欠なことだ。
悪いことをしたわけじゃないのにと思う
それも言うなら「虐待」、「暴力」
こんことがまかり通る限り、よその国ことはいえません。