汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
今日は中也である。
「夢む」はどう考えても「夢みる」だろう。だがこういうことばは古語にはない。
作者の造語である。
こういう造語がどこまで許されるのかが問題だ。
しかし「夢みる」であれば全体のリズムが壊れる。ここはどうしても「夢む」のほうがいい。
読んで読者に通じればいいという感じもしないでもない。
情けなきうれひけがれてゆくみちも夢見に消えぬ今朝の光は 揺之
睡蓮の円錐形の蕾浮く池にざぶざぶと鍬洗ふなり 石川不二子
本霊の作ではなさそうだ。こういうのはよくある。
字余りの句がつまってあまりよい感じはしない。
ひとによりけりだろうが、わたしは睡蓮の池で鍬を洗うのは遠慮する。
それができないものにはある種の感性の欠如というより、かくれた妬みを感じる。
睡蓮のみづのかたへに鍬さしてしばしあらふにまよひたりけり 揺之
髪ながき少女とうまれしろ百合に額は伏せつつ君をこそ思へ 山川登美子
女性の押さえた情念が麗しい。「額」は「ぬか」と読む。
白百合のような清らかな生き方にひかれはするが、うごめく恋の情念にも逆らい難い。
思う男がいるかどうかは問題ではない。
この世に恋に値する何かがあると思うだけでも身が騒ぐのだ。
これに応えられる男がいるかどうかは、少々こころもとない。ためしてみよう。
白百合の伏せてねがひしささやきを風のとがかといひしわれはも 揺之
あやまてる愛などありや冬の夜に白く濁れるオリーブの油 黒田淑子
現代歌人だが、これは本物のようだ。
要するに、霊的ずるではなく、本霊が作っている歌である。
この時代においてはたいそうめずらしい。
女囚の短歌指導などしている人だと言うが、これはそれに関する作だろうか。
最後の七がぶらさがっているようだが、意趣はこころよい。
あやまてる愛などありやこごりつつ人をこばめるはちみつの夜 揺之
こゝはこれみちのくなれば七月の終りといふにそらふかむなり 宮沢賢治
この「ふかむ」も「ふかまる」を古語に変換した例だろう。
「なり」は断定ではなく伝聞・推定の助動詞なのだろう。伝聞の「なり」なら終止形につく。「~らしい」「~ようだ」などと訳す。断定の助動詞「なり」ならば体言や連体形につく。
こういう作例があることによって言語が変っていくのだとみるべきか。それとも単純に作者のミスかあるいは未推敲と考えるべきか。
ここはこれみちのくなれば七月の終りなれども深き空なり 揺之
推敲してみたが、賢治の方がいいようだ。
海の上の空なれば斯く心沁み雲ゆくものか冬深むとき 高安国世
「深む」は「深まる」を古語にしようとして「深む」となったか。
中也に「夢見る」を古語的にしようとして「夢む」とした例があるが。
一概に間違いとも言えないかもしれないが、少し最後の切れが悪いとも感じる。
古語の「深む」は「深める」という意味であり、連体形は「深むる」である。
海辺にて空ゆく雲の目を刺してしろきに冬の深きをぞ知る 揺之
あなたの懐中にある小さな詩集を見せてください
かくさないで――。
それ一冊きりしかない若い時の詩集。
隠してゐるのは、あなたばかりではないが
をりをりは出して見せた方がよい。
さういふ詩集は
誰しも持つてゐます。
をさないでせう、まづいでせう、感傷的でせう
無分別で、あさはかで、つきつめてゐるでせう。
けれども歌はないでゐられない
淋しい自分が、なつかしく、かなしく、
人恋しく、うたも、涙も、一しよに湧き出でた頃の詩集。
さういふ詩集は
誰しも持つてゐます。
河井酔茗の詩である。
だれしも未熟な自分の詩など読みたくはないものだ。
忘れたい記憶として破り捨ててしまうものもいる。
どうにも捨てられず、いつか処分をしようと思いつつ鍵をかけて保存しているものもいるだろう。
そういう詩を愛おしんでくれる詩である。
全文は長いので一部を引用した。
古き歌今よみかへしあやまちをみとめつつ知る若さといふもの 揺之
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして
今夜此処での一と殷盛り
今夜此処での一と殷盛り
サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭倒さに手を垂れて
汚れ木綿の屋蓋のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それの近くの白い灯が
安値いリボンと息を吐き
観客様はみな鰯
咽喉が鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
屋外は真ッ闇 闇の闇
夜は劫々と更けまする
落下傘奴のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
今日は中也をとりあげる。
セピアに変色したかのようなノスタルジーの中に、戦争を押し込んでしまうほどの、
道化じみた狂気を歌っているかのようである。
虚偽と嫉妬と謀略の吹き荒れる世界で、真実に飢える魂は酒にでもよってほざいているしかない。
サーカスは道化の祭りである。
闇は一層濃くなり、ブランコの綱が切れて吸い込まれそうなほど、深くなる。
ゑひゑひて猿も君かとおもふほど杯をつぶして虚仮となりぬる 揺之